杣径somamichi

Live in now.

負けたことがある、というのがいつか大きな財産になる

Your experience that you had lost the match will become a great fortune later.

 

 

 先日、私の勤め先を2年前に辞めた中年の営業マンの方と、勤め先のビルの前でばったり。

  

  元気そうには見えるものの、心なしかあの頃にはまだあった上っ面の覇気すら無くなっていた。

 

 察するに、ここでもうまくいかず、次の勤め先でもうまくいかず、また転職したのだろう。

 彼の今の勤め先について調べてみたら、社員募集のホームページを見つけたものの、そこでみる限り給料は私たちのところより低いようだった。

 

  たしかに、うちの環境はよいかといえばそうとはいいきれない。

 

 (だが、悪いともいいきれない、、、)

 

 この先どうするか。これは今の私も常に悩むところである。

 

 彼は仕事がうまく行かず、(知り合いによると、営業先でも営業マンらしからぬ言動をしていたらしい)、うまくいかないのを会社のせいにし、「ここは赤字ばかりで潰れる」と

いいだし、しまいには周りと険悪になり辞めていった。

   私もパワハラまがいの暴言を吐かれたこともある。

 

  その彼が辞めてから2年。

 彼が辞めた頃は赤字続きだった営業所も、色々あったものの、売上が次第に伸び、やっと黒字になり、今や忙しすぎるくらい。

  営業マンも変わり、今の営業マンも忙しすぎるくらい。

 

  そんなことを思い出したから、先の元営業マンの方に「ほれみたことか」といいたい、、、わけではなかったが。

 

 ただ、思い出したことがあった。

 

 別に今の環境を乗り越えず、一時的に「逃げ出してもダメではない」

 

 しかし、今起こっていることは必ず何か意味があり起こっている。

 

 だから、それを突き止めて自分自身を変えない限り同じことがつきまとってくるよ。

 

 

と。

 

 

そう、はっとした。自分にもいえるのだ。

 

 逃げようとしてなかったか?

 

 必ず課題はある。

 

 他者責任にすることも構わないのだけど、結局は自分に返ってくる。。。。

 

 

 つまりは、たとえば今の自分の課題は、、、、、セルフコントロール

 

 オンとオフの切り替えをしっかりすること。

 考えすぎず、実行していくこと。

 

  そして。

 

 

 

運命は「決まる」のではなく「決める」もの

 先程夢うつつの中で誰かに言われた言葉。

 

 他者責任にしていないようで、、、していたことに気づいた。。

 

 心の中に積もっていた環境への愚痴や不満。

 

 まずは自分を変えよう。

 

 さて、上の言葉でいえば、漫画ナルトの中にこんな台詞があった。

 

イザナギが運命を変える術ならイザナミは運命を決める術だ。

内省

ずっと前に先輩にご指摘いただき、ありがたいことに一昨日も、昨日も同門の先輩方に改めて同じご指摘をいただいた。

「考えすぎず、まず行動してみなさい!」

自分でもまったくもって「考えなしに」生きてきたつもりなのだけど、他の方からもよく考えすぎ、、、と言われるし、もはや証明されている。

自分の中だけでの思い込み。妄想、理想。環境ら自分の写し鏡。残酷なまでに自分自身の今を映し出してくれる。
いやいや、映し出してくれない?それは自分自身を知ろうとしていない、怠惰に身を任せてる、あるいは周囲世界からのメッセージをキャッチアップしてないということ。

必要なことは目の前にあったりする。

求めよ、さらば与えられん。

自身のやりきった「つもり」。頑張った「つもり」。でもそれは案外、お釈迦様の手の平の中でぐるぐる暴れまわってる孫悟空状態だけでしかなったりする。

よく、これを忘れる。忘れるというより、自分に落としこめていない。あるいは、これを身につけていくのも、今の自分のテーマなのかもしれない。

一般通念の社会は他者評価の世界。自己満足でも、自己陶酔でもない。

実力は、暗闇の嵐の海に一人放り出され、弱さをまず自覚し、揺さぶられ、波に着ぐるみをはがされ、ときに流されながらそれでも必死に泳いで目的の島へ突き進んでいく中でついていく。

今までぬるま湯の中にいたけど、変わりたいなら覚悟して腹を決めれるようになったら、思いっきり冬の海に飛び込めばいい。失敗しても命まで奪われることは(多分)ない。

体が弱い?頭が悪い?それは単なる自分の弱さ。守るための言い訳のときもある。
苦難続き、なのはハラが決まってないから。
まだまだレッスン中。

というわけで、非力な自分はまだ歩けるか。この世界は私を歩かせてくれるか。

言い訳ばかりして動けない自分を脱せるか。

記事はネットからの拾い物。

昔好きだった漫画、「ARMS」

またはこんな言葉も自分を支えてくれていた

人の足を止めるのは 絶望ではなく「諦観(あきらめ)」
人の足を進めるのは 希望ではなく「意志」

一時の絶望感や敗北感が、将来の勝利の美酒のツマミになるなら、それでもよい。

または、目の前洞窟の先が果てしなく続くとと薄々感じとっていても、本能的に進むべきとわかっていたら、躊躇なく歩んでみたらいい。

他者へではなく、自分への叱咤。

「7つの会議」


池井戸さんの作品はあまり知らないのだけれど、何故世間的にヒットするか、というのが気になり調べてみた。

こと、この映画については過去〜の自分の経験、見聞などから、共感できるシーンも多々。(映画でははしょられている登場人物の背景もあるので、小説も併せて読んでみると、より理解しやすくなる)

  半沢直樹にしても、この映画の主人公の原島万二にしても、大企業のサラリーマンが、自分の意思を通しながら企業社会で起こる理不尽さ、悪に立ち向かっていく姿が描かれている。
かといってその起きる出来事は、 全くの虚構で、実生活とは関係ないとは言いがたく、リアルでも起きうるからこそ、そこに色んな人間模様、感情がこもっているからこそなおさら共感しやすくなる。

観ていて感じたのは、面白さと同時に自分が主人公だったら果たしてどう行動しただろうか。適切な立ち居振る舞いは??映画のようにならないためにはどうしたらよいか。あと、一見エンターテイメントだが、このような映画がヒットする世間の背景、裏側にある人々の心理は何か。作者がこれを書いた意図は??とかとか。
ただ、半沢(ドラマ版)にしても原島(映画版)にしても、自分の意思を貫き通したその結果は。。。。。。。

これからどうしていくか、含め最近非常に考える。まあ、考える暇があれば行動しろ、という話でもあるのだけど。

カウントダウン

 

 こんな夢を見た。

 

四国〜本州? 食堂車などの列車(寝台列車?)の中。どうやら自分はスパイというか、工作員らしい。四国内で走っているときには、どうやら食堂車関連で働いていたらしいのだが、夜寝るときに寝床を探していたら同僚(それも、今の会社の違う地方にいる同僚)に「君の寝床はない」と言われる。

その後場面は変わり、夜が明けて猛スピードで走る中の列車にあり、海を渡り切るころ後続の車両を引き離し、前の車両に飛び移った。。。。。

 

 

 

 久々にこんなアクション的な夢を見たのでどんだけだよ!!と自分でもツッコミそうになったのだが、まず引き離すときにバックトゥーザ・フューチャーのシーン、そして漫画ワンピースのウォーターセブン編、エニエスロビーに向かうシーンにオーバーラップした。

 ちなみに、四国は私が大学で通った、第2の故郷でもある。

 もし意味を持たせるなら、現状からの変化、冒険。過去への離別。あるいは過去(因縁)との決着をつけろ、ということなのかもしれない。

  これまででいえば、意味ある夢の現象化は3〜8ヶ月くらい。

 そういえば、ちょうど昨日はそれを考える為の現象が起こった。カウントダウン、は始まっている。

生き方のシフト

  3日ほど前に、私の友人(とはいえ、7つ上の人生の先輩)が倒れ、しばらく会社を休まないといけなくなった、という話をきき、色々考えている。

 

 その友人の身体の回復を願うと同時に、一生懸命働いて、考えているこのような方が何故こうならなきゃいけない、また、自分もこうなるのでは、、、とかと。

 

 正直、今の私は会社の定時を大きく超えて職場にいる。いざるをえない。(それに見合った成果をあげているか、と言われたらグーの音もでないが、ただし人手が不足しているのも事実)。

 本日やっと休みができたのだが、夕方まで疲れがでたせいか、動くことが出来なかった。

 会社に対して愚痴や不満は「言わない」と、決めている。(上記のは事実であり、愚痴にはならない)

 ただし、今の状態のまま働けば間違いなく潰れてしまうのは、目にみえている。

   だから、どうしたいのか、どうするのか。

 人生から問われている。

エウレカ!

と、思わず叫びたくなった瞬間だった。

 

 そうかと。

経験則でいうなら、私が「引き寄せる」ときのひとつのコツは、広い付き合いの中で見つけたつながりの中の人に、「自分の学んでいること、知っている情報」をアウトプットしていったときにハマる。

(だから目標をアウトプットするのは、一般的な引き寄せの原則ではあるのだが、私に関しては、学ぶ、学んだことを伝える、ということが加わってくる)

 

ちょっとした気づきでした。