新元号について
新元号「令和」。
万葉集からの引用とのことだったが、
漢字の「令」の成り立ちを調べてみた。
https://okjiten.jp/sp/kanji686.html
私がこの元号を聞いたときの個人的な印象は、「令」(お上からの指示、命令)などをもって「和」を為す、つまり、民主主義ではない方向に??という感じもした。
ただ、引用元の歌の意味を踏まえるとそうではないらしい。
私の考えすぎだろうか。。。
ズレていた、あり方
たまたま読んでいた漫画「迷宮ブラックカンパニー」より。
気づかされた。自分の軸も今ブレッブレだ。
そしてこのとおり、意志じゃない、義務感で働いてる。
だが違う。本当にできる人は、意志で動く。
意志の主導権を他人に明け渡さないこと。
インプットとアウトプットの断絶
小さい頃から、周りの人より感情に疎かったような気がする。
疎かった。。。ちょっと違う。悲しみの感情はわかる。楽しいもわかる。嬉しい、、もちょっとわかる。でも怒りは、、、???
だから、アニメは好きでも恋愛ドラマなどにはなかなか感情移入しきれない。
小学時代に提出していた日々の日記は、自分の思いというより、客観的な事実を淡々と書き記していたような気がする。
大人になっても、誰かに「感情に乏しいよね。顔に表情ないよね」と言われたこともある。
だから自分はアスペルガーや発達障がいの類なのか?と思ったりもしたが、どうやらその気がないわけでもないかもしれないのだが、それより私の宿命では、相反する、、というか剋し剋され合うものが共存しあい、そのために考えたことをなかなかそのままアウトプットできないのでは、という考えも出てきた。また、肺が悪いために、うまく呼吸できない→感情をだすのも億劫になった。
単なる占いだから当てにしなくてもよいのでは?
いや違う、古代から継がれてきた思想体系でももし同じことを言うなら、おそらく、やはりそれは向き合うべき課題なのだろう。
じゃぶじゃぶの溢れる水は、それを吸収してくれる木や草があることによりバランスが保たれ、生かされる。
また木や草は火が勢いよく燃える、あるいは灯火の火種となりうる。
ということは。。。?
さてさて。
負けたことがある、というのがいつか大きな財産になる
Your experience that you had lost the match will become a great fortune later.
先日、私の勤め先を2年前に辞めた中年の営業マンの方と、勤め先のビルの前でばったり。
元気そうには見えるものの、心なしかあの頃にはまだあった上っ面の覇気すら無くなっていた。
察するに、ここでもうまくいかず、次の勤め先でもうまくいかず、また転職したのだろう。
彼の今の勤め先について調べてみたら、社員募集のホームページを見つけたものの、そこでみる限り給料は私たちのところより低いようだった。
たしかに、うちの環境はよいかといえばそうとはいいきれない。
(だが、悪いともいいきれない、、、)
この先どうするか。これは今の私も常に悩むところである。
彼は仕事がうまく行かず、(知り合いによると、営業先でも営業マンらしからぬ言動をしていたらしい)、うまくいかないのを会社のせいにし、「ここは赤字ばかりで潰れる」と
いいだし、しまいには周りと険悪になり辞めていった。
私もパワハラまがいの暴言を吐かれたこともある。
その彼が辞めてから2年。
彼が辞めた頃は赤字続きだった営業所も、色々あったものの、売上が次第に伸び、やっと黒字になり、今や忙しすぎるくらい。
営業マンも変わり、今の営業マンも忙しすぎるくらい。
そんなことを思い出したから、先の元営業マンの方に「ほれみたことか」といいたい、、、わけではなかったが。
ただ、思い出したことがあった。
別に今の環境を乗り越えず、一時的に「逃げ出してもダメではない」
しかし、今起こっていることは必ず何か意味があり起こっている。
だから、それを突き止めて自分自身を変えない限り同じことがつきまとってくるよ。
と。
そう、はっとした。自分にもいえるのだ。
逃げようとしてなかったか?
必ず課題はある。
他者責任にすることも構わないのだけど、結局は自分に返ってくる。。。。
つまりは、たとえば今の自分の課題は、、、、、セルフコントロール。
オンとオフの切り替えをしっかりすること。
考えすぎず、実行していくこと。
そして。
内省
ずっと前に先輩にご指摘いただき、ありがたいことに一昨日も、昨日も同門の先輩方に改めて同じご指摘をいただいた。
「考えすぎず、まず行動してみなさい!」
自分でもまったくもって「考えなしに」生きてきたつもりなのだけど、他の方からもよく考えすぎ、、、と言われるし、もはや証明されている。
自分の中だけでの思い込み。妄想、理想。環境ら自分の写し鏡。残酷なまでに自分自身の今を映し出してくれる。
いやいや、映し出してくれない?それは自分自身を知ろうとしていない、怠惰に身を任せてる、あるいは周囲世界からのメッセージをキャッチアップしてないということ。
必要なことは目の前にあったりする。
求めよ、さらば与えられん。
自身のやりきった「つもり」。頑張った「つもり」。でもそれは案外、お釈迦様の手の平の中でぐるぐる暴れまわってる孫悟空状態だけでしかなったりする。
よく、これを忘れる。忘れるというより、自分に落としこめていない。あるいは、これを身につけていくのも、今の自分のテーマなのかもしれない。
一般通念の社会は他者評価の世界。自己満足でも、自己陶酔でもない。
実力は、暗闇の嵐の海に一人放り出され、弱さをまず自覚し、揺さぶられ、波に着ぐるみをはがされ、ときに流されながらそれでも必死に泳いで目的の島へ突き進んでいく中でついていく。
今までぬるま湯の中にいたけど、変わりたいなら覚悟して腹を決めれるようになったら、思いっきり冬の海に飛び込めばいい。失敗しても命まで奪われることは(多分)ない。
体が弱い?頭が悪い?それは単なる自分の弱さ。守るための言い訳のときもある。
苦難続き、なのはハラが決まってないから。
まだまだレッスン中。
というわけで、非力な自分はまだ歩けるか。この世界は私を歩かせてくれるか。
言い訳ばかりして動けない自分を脱せるか。
記事はネットからの拾い物。
昔好きだった漫画、「ARMS」
またはこんな言葉も自分を支えてくれていた
人の足を止めるのは 絶望ではなく「諦観(あきらめ)」
人の足を進めるのは 希望ではなく「意志」
一時の絶望感や敗北感が、将来の勝利の美酒のツマミになるなら、それでもよい。
または、目の前洞窟の先が果てしなく続くとと薄々感じとっていても、本能的に進むべきとわかっていたら、躊躇なく歩んでみたらいい。
他者へではなく、自分への叱咤。
「7つの会議」
池井戸さんの作品はあまり知らないのだけれど、何故世間的にヒットするか、というのが気になり調べてみた。
こと、この映画については過去〜の自分の経験、見聞などから、共感できるシーンも多々。(映画でははしょられている登場人物の背景もあるので、小説も併せて読んでみると、より理解しやすくなる)
半沢直樹にしても、この映画の主人公の原島万二にしても、大企業のサラリーマンが、自分の意思を通しながら企業社会で起こる理不尽さ、悪に立ち向かっていく姿が描かれている。
かといってその起きる出来事は、 全くの虚構で、実生活とは関係ないとは言いがたく、リアルでも起きうるからこそ、そこに色んな人間模様、感情がこもっているからこそなおさら共感しやすくなる。
観ていて感じたのは、面白さと同時に自分が主人公だったら果たしてどう行動しただろうか。適切な立ち居振る舞いは??映画のようにならないためにはどうしたらよいか。あと、一見エンターテイメントだが、このような映画がヒットする世間の背景、裏側にある人々の心理は何か。作者がこれを書いた意図は??とかとか。
ただ、半沢(ドラマ版)にしても原島(映画版)にしても、自分の意思を貫き通したその結果は。。。。。。。
これからどうしていくか、含め最近非常に考える。まあ、考える暇があれば行動しろ、という話でもあるのだけど。