「南半球で会いましょう」
唐突にそんな言葉が湧いてきた。
具体的にどこで?誰と?
(いないけど) 彼女?奥さん?友人?
謎ですが。
ところで、以前書いたような気がするけど、数ヶ月後に北へ行きます、とこのブログで書いたこと。
結果的には見事に行く用事ができて、先月、今月といってきたわけで。
(書いたときは、仕事の出張で行くわけじゃないけど、なんか用事ができて行く気がしていた)
結果先月は勉強会、今月は除霊のために(怪しすぎる。。笑)。
そんなこともあって。
数年後にはなぜか海外と日本を往復してるかもしれません。
最近妙にパスポート、とも気になりますし。?
花供養連続100日チャレンジ 1日目終了。
読書会「メモの魔力」
昨夜は市内で読書会に参加してきました。この読書会、というのは、ひとつの本を一定時間それぞれ読み、その後の気づきをシェアするというもの。
参加者は18名でしたが、3グループくらいに分かれてて行いました。
今回のテーマは「メモの魔力」とのこと。
ちなみに私は何度も読んでいた本でありますが、今回シェアしたのはこんな内容
「メモをするのはとても大切だが、書いているだけでは意味がないわけで。より効率やくアイデアだし、実践に至るにはそもそも本人の今の根源的な問い、テーマを自覚し現実面と繋げていかなければ、単なるメモ、アイデアで終わる気がする。
そもそもこの作者は承認欲求が強かったからこそメモを書きまくり、今の成功を得たわけで。
私たちも自分の根源的なものを知った上でやらないと、真の効果は得れないと思う。また作者もそれをわかっててるから付録に自分の1000の質問、という問いをつけたのでしょうね」
と、シェアしたところ、同じグループの方々から、
「なんか、本の外側を見てますね」と言われました。
自分でもなんでこんな考えに至ったかは、そのあとふと浮かんだのですが。。
算命学を学ぶことにより、どうやら知らないうちに根本的な人間への問いは何か、と考えるようになっていたようです。
なるほど学ことにより思考形態も変わってきたというのは自分の驚き。
習慣というのは侮れないものです。
地盤と今後
時間ができたので、自分の今後をどうするか、ちょっとずつ考えております。
以前言われたことは、
「その業界で大成するには最低10年、基礎ができるまでには少なくとも3年」
今まだ在職中(有給休暇)ではありますが、今回やめようと思った原因には、直接的なことは置いておくと、深層には会社の中で今後自分がどうか、ということに対して将来性が持てなかったこともひとつ。なのに、考える暇もないくらい忙しかった。
なので、3年続けたらどうしようか?
今後あと仕事を3.40年続けるならば、今が転換期ではないのか。
が、3年たってようやく基礎ができた時期でもある。。。。
天中殺明けまで待つか、今年の夏で一旦リセットしようか、とか色々ちょっと迷っていたのは事実。
後からみると、退職するか社外のご縁のある方々に相談したときに言われたように
いわゆるこの時期特有の
「魔が差していた」ともいえなくないのですが
今から思えば。その辞めるきっかけとなった 「事件が起きたとき」かつてないほど自分の感情がたかぶっていて、その状況ではもう気持ちとして続けられない、というのがあったのも本心。
滅多に人に相談することのない私が6.7名の方々に、気付いたら本心を感情的に晒すくらいというのもあったので。
あのとき書いた文章や文字を見直すと、怒りや何やらで冷静になれてなかったんだな、と感じます。
(しかも、占いや東洋哲理的には今辞めるのがいいわけではない、ということもわかっておりましたが、今までたんたんとしていた私でも、今回は感情的に無理でした。)
用心していたつもりでしたが、起こってしまったことは仕方ない。
転職エージェントの何社かの方々に話にのってもらいましたが、契約社員でこの成果はもったいない、、、とのこと。
そこまで言われるということは、組織人としての自分は立ち振る舞いや言動に課題があった、と振り返り、
原因が何であれ、 自分の完全な力量不足と捉え、今後に生かしていきたい次第。
雇われからの離脱
8月31日以降訪れていなかった勤務先に所用で顔を出してきた。
たった1週間なのに、かなり久しぶりに行ったような感覚。
7月の事件まではそれなりに全力を尽くしていた、と思っていた職場。
わずか10日足らずなのに、もはや記憶の彼方へと忘却しつつある。
離れてみて気付いた。
自分は一生懸命仕事をしたふりをしていた、のだと。朝から晩まで、20時間いた日もあった。休みの日まで出てきたときも多かった。ここ数ヶ月はまともに休みをとった日は、定休の半分くらいだったんじゃないか。
サービス残業はかなりした。退勤切ってから働くのも、やむをえないと思って働いた。ほんとはいけないと知っていたけど、そうしないと業務が絶対に回らないと分かっていたから。
そもそも以前からあった、感じていた会社への矛盾を忘れるために。
お師匠様のいいつけで、最低3年続ける、というのはある意味やめないための言い訳だった。
本当は心の底では、随分前から離れたかったのだ。
先の見えなさに、雇われという身分に。理不尽さに。
それが、5月ごろから色々と出てきてはいたのだ。
ただ、もしこれらの感情、見解を自ら受け入れていたら、何かアクションは変わっていただろうか?
否、そもそも入社するスタートから採用する上司がそもそもおかしかったし(いつのまにかフェイドアウトした)、見極めきれずあせって入社した私も間違えていた。
その結果なのか、天中殺現象としてパソコンを3回取り替え、3回壊れるという現象も発生。
これまで、利益向上の為にコツコツと作ってきた表が、記録が全部見れなくなった。
(吸い出そうと思えば吸い出せたのだが、壊れた原因が私でない、人為的なせいだと知った瞬間に、わざわざ本社の人に手間をかけてもらってデータを復旧させてもらってここで働き続けるのが、あほらしくなってきた)
ただ、結論からいうと、タイミングとして退職を選んで正解だと思った。
本来は、何かがおかしいと思ったらすぐに逃げるべきなのだ。
そうしないと。肝心なものを失ってしまうし、得られなくもなる。
何か違う
有給休暇に入ってから転職活動を始めている。まだ10日足らずだけど。
R社さんやD社さんに登録し、自分に合った会社に応募する、あるいはオファーを待つ、みたいな。
ここ数日しているのだけど、なんだかとてつもない違和感を覚えている。
これでいいのだろうか自分?
元々、小さい頃からサラリーマンには何故かなりたくないと思っていた。
それが行った先々ですっかり社畜になってしまい、行った先々で病んで辞める。なんかその繰り返し(あるいは倒産したパターンもある)。
知り合いのちょっと見える方からは、「サラリーマンには向いてません(断言)」とよく言われる。
それはそうだけど、まず食って行かねばねー
要思考。
人生初の除霊(された方)
本日(自覚している中では)生まれて初めて除霊をしていただいた。
ヒーリングは何回か、何名かの方々から受けたことはある。ただ、除霊は私の知りうる限り未体験ゾーン。
なぜ除霊を受けたか。
私の友人で過去に難病で、いくら病院に行っても治らなかった子が、先生のおかげで治った。で、その子に勧められたから。
施術していただいた先生曰く、私の昔からの病気の原因はまさにそれ(憑依)で、しかも私の体に一体ではなく、何体かいたとのこと。しかもかなり前からだという。
施術は約一時間。
最初に先生から言われていたのだが、除霊中は先生がうめいたり叫びだす、まさにその現象も発生。
( つまりは、私に憑依していたのはそれほどのものだったらしい。)
受けた後にはだいぶ体が軽くなった。
これは、カイロや漢方の先生のところで治療されるときとはちょっと違う感覚。
後者は体の気の流れを整えてくれるかんじだが、今回の先生のは、 余計なものを取り除いてくれたような。
とりあえず、不思議。この世界はわからんことがまだ多い。
これから
自分の信頼し、7.8年ほどお付き合いのあるとある先生から、「感覚、勘を使った仕事、道を見つけるといいですよ。ただし、それは既存の社会に存在するものでなく、自分で探求していく、一世一代限りで作りあげていくものかと思います」とヒントをいただいた。コーチングやカウンセリングに近いが、それじゃない。また、いわゆるスピリチュアルの要素も入ってそう、とのこと。(ただ、先生自身も直感で言っているようで具体的な何か、まではわからないとのこと。)
既存の仕事、流れに組みこまれるのではなく、自分の活路を見出すこと。
自分自身のオリジナルになり
、自分自身の人生を生きること。
今やるべきこと、当面したいことはそれはそれとしてあるけど。。
みつける、探求する方法論として、どうすればいいか、はもうすでに感覚として推論はあるけど、日々の積み重ね、自分の変革、発想の転換、、、、的なものが必須か。
で、こればかりはなるべく受け身で他の人のサポートを得ることなく、己が力で見つけださなきゃいけない、そんな気もする。
※一般にいう自己分析とか、そういうところとは全くかけ離れたところで答えは出るような気もする。
シンプルなようでいて、多分人生最大級に難しい。
結局いくら学んでも、自分と向き合わなきゃ、意志や直感に従って動かなきゃ何も始まらない。
行動力のある人が、とても羨ましい。