スマホがトランシーバーになる!!

 

 そんなアプリあるのかな、と思ってググったら、、、、ありました。

『スカイトランシーバー』というアプリ 

https://skytc.jp/transceiver/transceiver-app-smartphone/

 

 自身、現状では使う機会はありませんが、どこかで試してみれればなーと。メモまでに。

 

海のイメージ

 

 

 

 大海のど真ん中にただ独り、ポツンと留まっている時は、周りの海、空始め世界がただただ果てしなく広いことしかわからない。そして孤独感。寂しさ。何をしていいいかも定まらない。おぼつかない、はかない自分の体しか頼るものはなく、他と区別する自分の形すら曖昧でもある。一度嵐が来れば呑み込まれてジエンド。

 けど、、、、、好奇心とわずかな勇気を元手にしてその位置からまず動いてみる。乗っている船のエンジンを起動させ、その感性、センスで気のむくとき、気のむくまま踏み出してみる。
 その一歩はとても小さくてもいい。まずは、一ミリくらいでも。。少しずつ。。。

 それができたら今度はコンパスの針の向くままに、あるいは空の星座を道標として、思い切ってダイナミックに航海し始めてみる。

 ひとたび慣れたなら、どこまでも往くことで航海技術、波の乗り方、風との付き合い方、海の広さ、遠くの陸地の存在、冒険する楽しさを認識し、新しい体験も蓄積される。異質なものとも出会い、自分の形がはっきりしてくるだろう。そこに楽しさや学びが生まれる。今までおぼろげになっていた自分の形がはっきりしてくるし、自分の可能性を見出すことができるんだなあ。
 はては全てを呑み込み、成長していく。

 だから、仮に今何者でなかったとしても、それは実は最強のカードでもある。何故ならばこれまでのものを捨て、これから出会うもの全てを呑み込んでいくことで何者にでもなれる、その可能性に満ち溢れているのだから。

海のイメージ

 

 

 

 大海のど真ん中にただ独り、ポツンと留まっている時は、周りの海、空始め世界がただただ果てしなく広いことしかわからない。そして孤独感。寂しさ。何をしていいいかも定まらない。おぼつかない、はかない自分の体しか頼るものはなく、他と区別する自分の形すら曖昧でもある。一度嵐が来れば呑み込まれてジエンド。

 けど、、、、、好奇心とわずかな勇気を元手にしてその位置からまず動いてみる。乗っている船のエンジンを起動させ、その感性、センスで気のむくとき、気のむくまま踏み出してみる。
 その一歩はとても小さくてもいい。まずは、一ミリくらいでも。。少しずつ。。。

 それができたら今度はコンパスの針の向くままに、あるいは空の星座を道標として、思い切ってダイナミックに航海し始めてみる。

 ひとたび慣れたなら、どこまでも往くことで航海技術、波の乗り方、風との付き合い方、海の広さ、遠くの陸地の存在、冒険する楽しさを認識し、新しい体験も蓄積される。異質なものとも出会い、自分の形がはっきりしてくるだろう。そこに楽しさや学びが生まれる。今までおぼろげになっていた自分の形がはっきりしてくるし、自分の可能性を見出すことができるんだなあ。
 はては全てを呑み込み、成長していく。

 だから、仮に今何者でなかったとしても、それは実は最強のカードでもある。何故ならばこれまでのものを捨て、これから出会うもの全てを呑み込んでいくことで何者にでもなれる、その可能性に満ち溢れているのだから。

一言のちから

『あなたは今、皆から期待されているんだから』

 その言葉が心からのものかどうかはわからない。

 

 ただひとついえるのは、

 昨日何気なくかけていただいたその言葉が、後から思うと今なお、無能と無力感に満たされている自分としてはその日一番に大きく心に残り、本当に、本当に嬉しかった。

 人は、周りからのたった一言で大きくいい方向に変われたり、勇気づけられたり、逆に傷ついて落ち込んだりもする。

 今までの自分は事実をありのままに伝えることが大事だとか、表面的にだけでも肯定的な言葉を投げかければいい、などと思っていた節があった。
 

 ただ、

 
 実際は人により『1番今言われたいこと』『言われたら癒される言葉』は全然違ったりすることが多いことに最近気づいた。

 これまで気づかないうちに周りに暴言を吐いてなかっただろうか。
 お礼を言ってるつもりで内心全然気持ちがこもっていなかったことはなかっただろうか。 

 話をきいてるふりをして実は無関心な態度があらわれていたことがなかっただろうか。

 相手の社会的地位、外見などみたいところしかみず、真の意味で内面、本質をみようとしていただろうか?

 要約するならコミュニケーションにおいて目の前の人の本質に寄り添うことなく、表面だけのやりとりだけしかできていなかったんじゃないのか?

 それじゃいけないことを実は今年の夏、大きく思い知らされていたし、逆に誕生日の日に、尊敬する方から頑張ろう、と思える印象的な一言もメールでいただいていたんだ。
 

 また今日。

 以前仕事を共にした方から、珍しく職場の近況についてちらっとラインで伺った。

 短い内容、文字遣い、行間などから職場の今の状況、大体の人間関係、売上、本社との今の関係など瞬時に頭に浮かんで出てきた。

 が、

返信に30分〜1時間悩んだ挙句今の僕では、『色々あるけど私は元気です。そちらは大変だと思いますが、たまには休んでくださいね』というニュアンスのことだけしかお伝えできず、(つまりは、何と励ましていいかわからない)表現力が全くない自分の力不足を感じた。

 
 何気ない一言が、人を大きく変えうる。
 ときに人生に及ぼす変化は、、実はとてもとても、計り知れない。

 周りの人の気持ちに瞬時に寄り添い、察し、心から愛情のこもった一言で励まし、あるいは癒すことができる存在になりたいな。

 たった一言褒められただけですごくがんばるようになった人もいるはず。
 ひょっとしたらそのあたりに自分のなすべきことが隠れてるんじゃないか、と思う。

 

社会的『役割』を得、自覚し初めて動き出す

 どこかで聞いた話ですが、人はその資質があるがゆえにそれに応じた役割を得るとは限らず、役割を得、自覚することで頑張りだし、後天的に必要な資質を身につけていくものだ、と。

 

 言い換えると、例えば一見才能のなさそうな者でも一度リーダーの役割を得て、精進していくならその資質を身につけることができるということでしょう。

 そのカラクリは、役割を得て社会的に果たさなければならないとなると当然その人はその役割での新しい体験を得、また学ばされることになるから。

 

 心理学的にいえば『ピグマリオン効果』ってもので、自覚することで内面もそう変わっていくものです。

 

 言い換えたら、役割や立場を得ることにより人は新たな成長のステージに立つといえるでしょう。 

 

 ただしここで肝なのは、

 あくまで『役割を得、自覚すること』。

 

 たとえ社員であろうが月給泥棒に身を窶しているならば、やるべきこと、役割を心得て、お客様に尽くし、一所懸命に働くアルバイトには『給料では勝っていても影響力では劣り』現実面では大きな差となってくるでしょう。  

 

 今この生きる時間。

 私の今の役割は、『春の目覚めの時期まで身を置く場所で一所懸命にお尽くし、エゴをださず、職場がよりよくやるようにサポートしていくこと。』

 立場役割でいうなら助っ人という感じですが、1日8時間以上働きながらも、与えられた役割をしっかり果たそうと考えています。

 

 もうすぐ天中殺明け。この戌亥天中殺の今年8月、私は『立場』『役割』を失いました。(というか、耐えきれなくなり放棄したのに近いですが、仮に保持していたとて恐らく後に失っていたと思います。)

 そこも重々反省し、次に繋げていきたいとも。

 

 

昔のビジョンが叶う

 たまに起こる現象が、2.3年前にイメージしていたこと、ふと『こうなりたい』と思っていたことが、かなり意外な形で叶ってしまうこと。

 この、ふと思うこと、と意外な形で、というのがポイントで。

 意識的にあれが欲しい、これが欲しい、と考えて無理に努力しているときって、大抵自分の視点がずれていたり、思い込み、固定観念のループの範疇にいてなにも先に進んでいないのかもしれません。

 

 一方で、時として向こうから来る流れに身を任せ、ただ来る流れに対して寛容になり、自分とは違うものを受けいれ、ただし全力で向き合うことで

 

 これまで自分の道が開けてきたような気がします。

 たとえば昨日、前職ではなし得なかった『大規模なケータリングの仕事』のお手伝いをさせていただいたり。これ、2年前くらいに似たようなお話をいただき、結局不成立になったけどイメージだけしていた話なのです。ただし、このご縁もほんとに予期してませんでした。※詳細は伏せます。

 

 年天中殺期間にありますが。

 前の仕事をスパーンと辞め、今行動の拠点にしている場所に通いつめることで見えてきたもの。

 まだまだ整理の余地あり、です。