今年を振り返って

12月を振り返ってみたのだけど、

この1ヶ月で起こったことだけをみても

今から考えたら、『一見独立して起こっているようにみえる出来事』点と点同士が繋がって『一つのストーリー』線になっているようで

 さらに長い目で見るとその線でさえも

 5年前、2年前、半年くらい前に起こった出来事の点、ストーリーとずーーーっと繋がっているみたいで。
 (この出来事がなかったら今のこれは起きてない、、、と思える事象に幾つも出会わされた)

 ひとつの『場』夜空に浮かぶ星座のようになっているように思えた。

 そしてその星、星座というのは夜の漆黒の暗闇の中からでしか、浮き上がってこない。 
 輝きや意味が持たされない。

 今ここにいること、いくことって、そのときは意味を感じられなくても、後の大どんでん返しの伏線になってたりするけど、わからないもの。

 だから。
 
 
 喜ぼうと、怒ろうと、哀しもうと、楽しもうと。

 何かを得ようとも、代償として大切なものを失おうとも。

 多分、物質的に極楽をみようと、精神的に地獄の底に突き落とされようと。

 今を大事にしようと、怠惰に過ごそうとも。

 シリアスに表現しようとすればもっとできるのだけど、、、、、、

 とりあえず生きていて、何度でも這い上がって前に進もうとする限り、自分の表面的な意思に関係なく、たぶん何かに導かれていくのかもしれないなあ。
  

 今周りにいる方々、目の前の出来事、これまで出会ってきたもの、これから出会うもの。

 全てをより、できる限り大切にしていこう。

 

 また、12月から身を置かせていただいている場所では、自分を引きたてていただいたサポート、職場に尽くすことを心がけました。

 

 そのおかげか?先程職場の納会に参加させていただき、サプライズ的にお寿司やケーキをいただいたり。

 

 来年は、皆様にとって更によい一年になりますように。

スマホがトランシーバーになる!!

 

 そんなアプリあるのかな、と思ってググったら、、、、ありました。

『スカイトランシーバー』というアプリ 

https://skytc.jp/transceiver/transceiver-app-smartphone/

 

 自身、現状では使う機会はありませんが、どこかで試してみれればなーと。メモまでに。

 

海のイメージ

 

 

 

 大海のど真ん中にただ独り、ポツンと留まっている時は、周りの海、空始め世界がただただ果てしなく広いことしかわからない。そして孤独感。寂しさ。何をしていいいかも定まらない。おぼつかない、はかない自分の体しか頼るものはなく、他と区別する自分の形すら曖昧でもある。一度嵐が来れば呑み込まれてジエンド。

 けど、、、、、好奇心とわずかな勇気を元手にしてその位置からまず動いてみる。乗っている船のエンジンを起動させ、その感性、センスで気のむくとき、気のむくまま踏み出してみる。
 その一歩はとても小さくてもいい。まずは、一ミリくらいでも。。少しずつ。。。

 それができたら今度はコンパスの針の向くままに、あるいは空の星座を道標として、思い切ってダイナミックに航海し始めてみる。

 ひとたび慣れたなら、どこまでも往くことで航海技術、波の乗り方、風との付き合い方、海の広さ、遠くの陸地の存在、冒険する楽しさを認識し、新しい体験も蓄積される。異質なものとも出会い、自分の形がはっきりしてくるだろう。そこに楽しさや学びが生まれる。今までおぼろげになっていた自分の形がはっきりしてくるし、自分の可能性を見出すことができるんだなあ。
 はては全てを呑み込み、成長していく。

 だから、仮に今何者でなかったとしても、それは実は最強のカードでもある。何故ならばこれまでのものを捨て、これから出会うもの全てを呑み込んでいくことで何者にでもなれる、その可能性に満ち溢れているのだから。

海のイメージ

 

 

 

 大海のど真ん中にただ独り、ポツンと留まっている時は、周りの海、空始め世界がただただ果てしなく広いことしかわからない。そして孤独感。寂しさ。何をしていいいかも定まらない。おぼつかない、はかない自分の体しか頼るものはなく、他と区別する自分の形すら曖昧でもある。一度嵐が来れば呑み込まれてジエンド。

 けど、、、、、好奇心とわずかな勇気を元手にしてその位置からまず動いてみる。乗っている船のエンジンを起動させ、その感性、センスで気のむくとき、気のむくまま踏み出してみる。
 その一歩はとても小さくてもいい。まずは、一ミリくらいでも。。少しずつ。。。

 それができたら今度はコンパスの針の向くままに、あるいは空の星座を道標として、思い切ってダイナミックに航海し始めてみる。

 ひとたび慣れたなら、どこまでも往くことで航海技術、波の乗り方、風との付き合い方、海の広さ、遠くの陸地の存在、冒険する楽しさを認識し、新しい体験も蓄積される。異質なものとも出会い、自分の形がはっきりしてくるだろう。そこに楽しさや学びが生まれる。今までおぼろげになっていた自分の形がはっきりしてくるし、自分の可能性を見出すことができるんだなあ。
 はては全てを呑み込み、成長していく。

 だから、仮に今何者でなかったとしても、それは実は最強のカードでもある。何故ならばこれまでのものを捨て、これから出会うもの全てを呑み込んでいくことで何者にでもなれる、その可能性に満ち溢れているのだから。

一言のちから

『あなたは今、皆から期待されているんだから』

 その言葉が心からのものかどうかはわからない。

 

 ただひとついえるのは、

 昨日何気なくかけていただいたその言葉が、後から思うと今なお、無能と無力感に満たされている自分としてはその日一番に大きく心に残り、本当に、本当に嬉しかった。

 人は、周りからのたった一言で大きくいい方向に変われたり、勇気づけられたり、逆に傷ついて落ち込んだりもする。

 今までの自分は事実をありのままに伝えることが大事だとか、表面的にだけでも肯定的な言葉を投げかければいい、などと思っていた節があった。
 

 ただ、

 
 実際は人により『1番今言われたいこと』『言われたら癒される言葉』は全然違ったりすることが多いことに最近気づいた。

 これまで気づかないうちに周りに暴言を吐いてなかっただろうか。
 お礼を言ってるつもりで内心全然気持ちがこもっていなかったことはなかっただろうか。 

 話をきいてるふりをして実は無関心な態度があらわれていたことがなかっただろうか。

 相手の社会的地位、外見などみたいところしかみず、真の意味で内面、本質をみようとしていただろうか?

 要約するならコミュニケーションにおいて目の前の人の本質に寄り添うことなく、表面だけのやりとりだけしかできていなかったんじゃないのか?

 それじゃいけないことを実は今年の夏、大きく思い知らされていたし、逆に誕生日の日に、尊敬する方から頑張ろう、と思える印象的な一言もメールでいただいていたんだ。
 

 また今日。

 以前仕事を共にした方から、珍しく職場の近況についてちらっとラインで伺った。

 短い内容、文字遣い、行間などから職場の今の状況、大体の人間関係、売上、本社との今の関係など瞬時に頭に浮かんで出てきた。

 が、

返信に30分〜1時間悩んだ挙句今の僕では、『色々あるけど私は元気です。そちらは大変だと思いますが、たまには休んでくださいね』というニュアンスのことだけしかお伝えできず、(つまりは、何と励ましていいかわからない)表現力が全くない自分の力不足を感じた。

 
 何気ない一言が、人を大きく変えうる。
 ときに人生に及ぼす変化は、、実はとてもとても、計り知れない。

 周りの人の気持ちに瞬時に寄り添い、察し、心から愛情のこもった一言で励まし、あるいは癒すことができる存在になりたいな。

 たった一言褒められただけですごくがんばるようになった人もいるはず。
 ひょっとしたらそのあたりに自分のなすべきことが隠れてるんじゃないか、と思う。

 

社会的『役割』を得、自覚し初めて動き出す

 どこかで聞いた話ですが、人はその資質があるがゆえにそれに応じた役割を得るとは限らず、役割を得、自覚することで頑張りだし、後天的に必要な資質を身につけていくものだ、と。

 

 言い換えると、例えば一見才能のなさそうな者でも一度リーダーの役割を得て、精進していくならその資質を身につけることができるということでしょう。

 そのカラクリは、役割を得て社会的に果たさなければならないとなると当然その人はその役割での新しい体験を得、また学ばされることになるから。

 

 心理学的にいえば『ピグマリオン効果』ってもので、自覚することで内面もそう変わっていくものです。

 

 言い換えたら、役割や立場を得ることにより人は新たな成長のステージに立つといえるでしょう。 

 

 ただしここで肝なのは、

 あくまで『役割を得、自覚すること』。

 

 たとえ社員であろうが月給泥棒に身を窶しているならば、やるべきこと、役割を心得て、お客様に尽くし、一所懸命に働くアルバイトには『給料では勝っていても影響力では劣り』現実面では大きな差となってくるでしょう。  

 

 今この生きる時間。

 私の今の役割は、『春の目覚めの時期まで身を置く場所で一所懸命にお尽くし、エゴをださず、職場がよりよくやるようにサポートしていくこと。』

 立場役割でいうなら助っ人という感じですが、1日8時間以上働きながらも、与えられた役割をしっかり果たそうと考えています。

 

 もうすぐ天中殺明け。この戌亥天中殺の今年8月、私は『立場』『役割』を失いました。(というか、耐えきれなくなり放棄したのに近いですが、仮に保持していたとて恐らく後に失っていたと思います。)

 そこも重々反省し、次に繋げていきたいとも。