情報リテラシー 報道番組とNewspicksのギャップについての概感

 例のゴーン氏報道について。

 

 年始は謎の高熱にてテレビは観ずニュースはスマホで、しかもNewspicsで読んでおりました。

 

 このアプリのいいところは、ニュースに関してpickerさんたちがコメントをしてくれて、たまに補足みたいになり、情報がより詳しくわかること。

 

 で、ついさっきテレビをつけたときにたまたまワイドショーでのゴーン氏報道をみていたのですが。

 

 単純にいうなら

 

 ワイドショーでの放送の仕方はどうしても、視聴率重視になり、『このあとすぐ!』みたいに引き延ばされたり、タレントのコメンテーターのコメントが的はずれだったりする。時間も限られているため情報量が薄い。。。。。そして、やはり『何かに誘導しようという意図がうっすらと感じられる』。

脚本家かそれに近い人物がいるんだなあと思わされます。

 

 ゴーン氏報道について、先にアプリで読んでいた私は圧倒的にそのことを感じました。

 Newspicsを激推しするわけではありませんが、同じテーマについて専門家に近い人の話をきけたり、より偏向のない意見をきけるならそちらの方がよい。

 

 一方でその逆をやってきたから、やらざるをえないからこそテレビはテレビ足りてるのかもしれません。。。。

 

 ところで。

 大学生の頃『情報リテラシー』の講義で私は『情報は偏りやすいから、色んなところからバランスよくとり取捨選択しなければならない』と学びました。

 

 が、最近思うのは

 

 本当に必要で自分ごとに関わる一次情報については自分からあらゆる手段を用いて周辺情報を含めて精査した方がいいし。

 

 また本当の一次情報は、信頼できる直接の人間からくるものじゃないかと。そもそも情報ってナマモノです。今使える情報もやがてアップデートされることは少なくないでしょう。

 

 なので、今年からのテーマとして

 

 『適した一次情報を提供できる人間に自分がなること。』を一つに掲げたいと思います。

 

 

 

 

 

 

本当に解決すべき問題を見抜くこと。

 いろいろな場所に行き、思ったこと。

 たとえば職場の『人手不足』があったとして。

 

 システムも何も変えず今いる人間だけのマンパワーだけで回していたとしたら、もし誰かが抜けたら尚更回りにくくなる。  

 

 また、人手を増やす以外にも解決策はあります。

 

 そもそもシステムをもっと効率化して、必要な人手そのものを減らせないか?

 単発でも助っ人的存在を入れることはできないのか?

 

 これって実は仕事だけでなく、生き方にもいえて。

 

 ただ、強く感じたのは根本的な課題、問題をちゃんと見つめて解決に向かっていかないと、なかなか大きな変革は起こらず同じ失敗を繰り返しやすいこと。

 どこを見ていてもそう感じます。

 

 

左利き専用の道具

 ハサミ、カッターなど左利き専用の道具があるのはずっと前から聞いていていた、、、、

 

 が、近頃その道具の需要が増加しているらしい、という話を耳にした。

 

 左利きの方にとっては、確かに右利き用の道具は扱いづらいだろうし、ゆえに、仕事の効率も下がるだろう。

 

 そもそも左利きのメリットはスポーツにおいて、右利きの相手に対し戦いづらくなる、という意味で有利になることではあるが、デメリットは右利き用の道具に塗れているこの世界では道具を扱いづらい、ということでもある。

 

 マイノリティーであるがゆえのメリットデメリット。色々考える。

今年を振り返って

12月を振り返ってみたのだけど、

この1ヶ月で起こったことだけをみても

今から考えたら、『一見独立して起こっているようにみえる出来事』点と点同士が繋がって『一つのストーリー』線になっているようで

 さらに長い目で見るとその線でさえも

 5年前、2年前、半年くらい前に起こった出来事の点、ストーリーとずーーーっと繋がっているみたいで。
 (この出来事がなかったら今のこれは起きてない、、、と思える事象に幾つも出会わされた)

 ひとつの『場』夜空に浮かぶ星座のようになっているように思えた。

 そしてその星、星座というのは夜の漆黒の暗闇の中からでしか、浮き上がってこない。 
 輝きや意味が持たされない。

 今ここにいること、いくことって、そのときは意味を感じられなくても、後の大どんでん返しの伏線になってたりするけど、わからないもの。

 だから。
 
 
 喜ぼうと、怒ろうと、哀しもうと、楽しもうと。

 何かを得ようとも、代償として大切なものを失おうとも。

 多分、物質的に極楽をみようと、精神的に地獄の底に突き落とされようと。

 今を大事にしようと、怠惰に過ごそうとも。

 シリアスに表現しようとすればもっとできるのだけど、、、、、、

 とりあえず生きていて、何度でも這い上がって前に進もうとする限り、自分の表面的な意思に関係なく、たぶん何かに導かれていくのかもしれないなあ。
  

 今周りにいる方々、目の前の出来事、これまで出会ってきたもの、これから出会うもの。

 全てをより、できる限り大切にしていこう。

 

 また、12月から身を置かせていただいている場所では、自分を引きたてていただいたサポート、職場に尽くすことを心がけました。

 

 そのおかげか?先程職場の納会に参加させていただき、サプライズ的にお寿司やケーキをいただいたり。

 

 来年は、皆様にとって更によい一年になりますように。

スマホがトランシーバーになる!!

 

 そんなアプリあるのかな、と思ってググったら、、、、ありました。

『スカイトランシーバー』というアプリ 

https://skytc.jp/transceiver/transceiver-app-smartphone/

 

 自身、現状では使う機会はありませんが、どこかで試してみれればなーと。メモまでに。

 

天中殺ならでは

 ざっくりいうと最近、いくつかの会社の方から『うちで働かない??』という感じでお誘いをいただいております。

 これはこれで嬉しいのですがまだ天中殺。

 明けまで待とうという次第。

 

 

 

 

 

海のイメージ

 

 

 

 大海のど真ん中にただ独り、ポツンと留まっている時は、周りの海、空始め世界がただただ果てしなく広いことしかわからない。そして孤独感。寂しさ。何をしていいいかも定まらない。おぼつかない、はかない自分の体しか頼るものはなく、他と区別する自分の形すら曖昧でもある。一度嵐が来れば呑み込まれてジエンド。

 けど、、、、、好奇心とわずかな勇気を元手にしてその位置からまず動いてみる。乗っている船のエンジンを起動させ、その感性、センスで気のむくとき、気のむくまま踏み出してみる。
 その一歩はとても小さくてもいい。まずは、一ミリくらいでも。。少しずつ。。。

 それができたら今度はコンパスの針の向くままに、あるいは空の星座を道標として、思い切ってダイナミックに航海し始めてみる。

 ひとたび慣れたなら、どこまでも往くことで航海技術、波の乗り方、風との付き合い方、海の広さ、遠くの陸地の存在、冒険する楽しさを認識し、新しい体験も蓄積される。異質なものとも出会い、自分の形がはっきりしてくるだろう。そこに楽しさや学びが生まれる。今までおぼろげになっていた自分の形がはっきりしてくるし、自分の可能性を見出すことができるんだなあ。
 はては全てを呑み込み、成長していく。

 だから、仮に今何者でなかったとしても、それは実は最強のカードでもある。何故ならばこれまでのものを捨て、これから出会うもの全てを呑み込んでいくことで何者にでもなれる、その可能性に満ち溢れているのだから。