昨日の振り返り
本日の夕方、急にオンラインワークショップに参加させていただくこととなり、図らずも「これまでの人生を軽く俯瞰する」機会となった。
振り返ってみると、自分の人生って誰よりもフラフラしていて一貫性がないヒッピーとかクラゲのようだ(まるで自分自身のようだ)とどこか自分で思いこんでいたところもあったのだけど
実はご縁として出会っているもの、経験してきたものを可視化して振り返ると、一貫していると思えて、自分自身の過去から現在の流れをチャートにした瞬間にそれ(一貫しているもの)が言語化できてしまった。。。。。
※元々別の方法で言語化していたのだけど、体験を振り返ったことで体感として腑に落ちた感じ。
そういえば、と思い出したのだけど。
大学時代に出会った中で、ものすごくインパクトのある方の一人に、ある経営者の方がいらっしゃった。
その方は世にもマニアックな「元祖とんかつパフェ」を生み出した、それだけきくと一見面白そうな方そうにみえるのだけど、実は苦難をたくさん経験されていて、人間性もすごく高く、魅力的な方。(のちに、そのお店でアルバイトもさせていただいた)
最初に出会う機会となった講演会の演台の上で、その方はこう仰っていたと記憶している。
「経験したことひとつひとつは、そのとき意味が分からなくても、後になって出来事ひとつひとつの点が線になって繋がり、過去の出来事に意味があったのだと腑に落ちる瞬間がくる」(意訳)
この趣旨のことは後にとあるごとに思い出したし、また過去のブログに何回も書いたくらいだから、
無意識のうちにも、よほど僕の印象に残っていたのだと思う。
そして、先程自分の過去を振り返ったときに、過去の出来事が繋がり、そこに一貫性、意味があった!!!と腑に落ちたのは、
まさにあのときの言葉通りのことが起こったのではないか、と。
じゃあ、この延長線上の未来には何が待っているんだろう?
一貫した方向の延長をすすむことも選べるし。
一方違う新しい可能性をみることもできなくはない。
それがわかったから、もっと過去に囚われずに思考し、よりフレキシブルに動けるんじゃないかな。
事務作業はやっぱりデスクトップ&専用キーボード
現職で、より事務仕事が増えた中でデスクトップPC&専用キーボードを使っていて思う。。。。
やっぱり、一日中、しかもより複雑な事務作業するにはノートPCよりもデスクトップPC&キーボードの方が断然いい・・・・・!!!
前職時は社員一人ひとりにノートPCが貸与されていて。
メール対応、仕事でのソフト使用、文章作成、そして発注書類の作成なども全てそのノートPCで行っていた。やっぱり、画面は小さいし、肩がこる。
つくづく実感するのだが、ノートPCは持ち運びしやすいという利点はあるものの、長時間作業するには必ずしも快適ではない。
デスクトップは持ち運びはできないが、キーボードは独立しているため、自分で選ぶことができる。キーボードのボタンがちょっと大きく、入力しやすい。(また、お金を出せばハイスペックで入力しやすいタイプのものも手に入るだろう)。
そう考えたら、肩がコリそうな(実際凝ったけど)大量の事務業務をノートPCで当時やっていたなあ。
今は、前職よりも遥かに多い業務をデスクトップでこなしているが、楽ちんである。
続、マンデラ効果
自分とこのブログの読まれてる記事ランキングをふと見てたら、過去の『マンデラ効果とオーストラリア』という記事が何故か一位になっていた。
https://shmykchang.hatenablog.com/entry/2019/10/24/232057
まあ、元々読む方の少ない閑散としたブログだからね。(とはいえ、読んでくださっている皆様、ありがとうございます!)
そもそも母数たかが知れてる中での一位だけど、仮にGoogleティーチャーの『検索』ワードランキングで調べてみたらどないやろ?と思って調べてみたら。
確かに、同義語の『マンデラエフェクト』でいえば、7月の5日週のどん底から、翌々週突き抜けて一気にあがっている。(とはいえこれも母数などがよくわからないが)
うん、ただ、そのあたりになにかあったんだろうな。
ニュースとか他のメディアで取り上げたとか?
有名人が発言したとか?
そうでなければ、なんらかのマンデラエフェクトに関連することが、、、、、、起こった???
(実はそうであってほしいというワクワク)
まあ、わからんけどね。
生きるってエネルギーの循環、等価交換。
某鋼の錬金術師で『等価交換』という言葉を使っているけど。
これは真実だという気がする。
何かを得るためにはそれ相応の対価を差し出す必要がある。仮にそれが成り立たないように見えるのは時間差や環境、という現実世界の枠があるから。
が。精神世界は無限である。
だから、現実的に差し出すのもなしではないのだけど、、、、本来は精神つまり自分の意識のエネルギーを回す総量によって、対価も大きく変わるんじゃないかと。
そしてそれを例える一つの言葉として『利他』や『利己』があったり。
一年ほど前に師より
『本当の意味での因果の法則』についてレクチャーを受け、大きなインパクトを受けた。たまにそのときの動画を聴き返す。
内容については触れないけど、法則にも関連するがやはり本質はエネルギーのやりとりなのだ。
業務改善、と違和感の正体
4月からの仕事における業務習得が一通り落ち着いたので。
時間があるときには、現状における自分の業務のマニュアルを作成している。
これにはいくつか理由があり、箇条書きにするならばたとえば以下のような感じ。
●業務を可視化、言語化し俯瞰することで、改善、効率化に繋げていく為。
●業務の一般化。上とも関係するが、なるべく誰でもできる、あるいは素早く習得できるようにする為。
そもそも、私の引き継いだ業務はよくも悪くも前任者の方(けっこう前に退職されている)が作り上げたもの。
その方の努力と工夫には敬意を払いつつ(これは本当に思う)、ただしなるべくわかりやすくしていかないと、と思うし、入社面談時に社長もそのことについて触れていた。
こちらはこちらで長期的にやってこうと思っている。
また、事務仕事で実感するのは、
たとえばパソコンの使い方を変える(ショートカットキーの多用やフォルダの使い方)とか、表計算ソフトの便利な使い方を覚える(関数を使うとか)、という工夫改善だけでも結構ミスが減り、効率がよくなることがあるということだ。
たとえば、何人かの同年代の同僚で使う共有の表計算ソフトのファイルで関数を仕込んで便利にしたことで、ちょっと喜ばれたりもしている。
(一方で、職場の管理職の方がパソコンの操作を知らずにものすごく労力を使う作業をしてるのをみて唖然としたこともあったが)
そんなこんなを経験すると、結局はいかに仕事のポイントを抑えるかが本質なんだな、と感じるようになってくる。
事務作業であればミスなく効率よく処理するために→ミスを防ぐパソコンの使い方を習得する、時間の使い方を変える、とか。
そして、おそらくここからが核心なのだけど、、、、、弊社の職場でちゃんと5w1h思考、、でき、本質を抑えている上役は少ないのだろうと。
たとえば目標設定の共有時における表現が漠然としており、さらに口頭ベースでも明確にきいたことがないのだ。だから、MBO的な目標を自分で立てるときにも違和感を覚えた。
(もっとも、これは上司が論理的思考に弱いのは前職でもあったことなので、慣れてはいるが)
そっから振り返ってみれば職場は何故、何故と思うことだらけ。ある意味全員、思考ではなく空気や感覚で作業している感も否めない。
果たしてこれでよいのだろうか?
まあ、私は今あることに尽くす、算命学の実践、検証の場としてもここを選んだところもある。
どうしていこうか。
keep in touchの重要性
少し前に、学びの先輩より『keep in touchを大切に』というレクチャーをいただいた。
具体的にはお世話になった方への義理を通す意味で、報告、連絡などを絶やしなさんな、ということだと理解している。
そのことを思い出していたら、ふとある3名の方に連絡し忘れていた!!という考えが浮かび、即メールを送った。
その3名とも、朝の勉強会に参加していた頃にお世話になった方々なのだけど。
1人は色々世話を焼き、色んな場に招待していただいた、朝の会の幹部の方(前職時代のお客様にもなっていただいた)。
また1人は、私が今の算命学の学びに至るきっかけを作ってくださった方(実はこの方も、前職でお客様になっていただいた)
最後の1人は、最初の方の親族の方で、神社を紹介していただいた。
思い出したら即実践。習慣としてこれも身につけていきたい。