宿命で仲間を組む

 最近、おもしろいほど同じ星を持った方とのご縁があります。

 弟子入り?することになったり、ご縁を繋いでいただいたり、色々親切に説明していただいたり。

 

 今数えるだけでもパッと5名。

 確かに同じ星をもつ僕らはちょうど前にむかって歩み易い時期はあるのですが

 

 やたら出会うようになったのは何らかのシンクロがあるのかなと。

神楽

 最近、変な夢をよくみる。

 17日前後から大体身体がしんどくて、そのあたりからだ。

 普段、覚えている内容の夢というのは、直近の現実と多かれ少なかれリンクしているのだが、『変』というのは現実とリンクが感じられない、、、何かしらメッセージめいたものだからだ。

 

 昨晩みたのは、覚えてるだけで2つある。

 

 1つは、神社の境内の門の外から門の中を見つめる自分がいたシーンから始まる。

 門の前には、『ここから先に入るな』とばかりにロープが引いてあって入れない。

 

 そして、その奥では若い新体操の格好の女性たちが演技をしている。

 それをみてふと、『あ、神楽だ』と思った。

 

2つ目。

 結婚する相手の女性と、その家族とショッピングモールに来ていた。その途中、女性の父親に話がある、と私が別の場所に連れ出し、『娘さんを私にください』的な話をする。父親はOKする。。。。

 

 どちらも現実と全くリンクしてない。

 謎である。。。

篩にかかる

篩 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/

 

 最近、師や兄弟子の先生方が『篩にかかる。かける』とおっしゃっていたのを、ふと思い出した。

 

 師のそれは、変化しない者は時代から、社会から落とされていくという文脈で。

 

 兄弟子の先生のそれは、まずは3年間、勉強を続けてこられておめでとうございます、という労いの中で(つまりは、まずはこの段階では学問から選ばれた、ということなのかもしれない)

 

 ふと、世の中の条理は須くこうなのかもしれないと感じた。

 

 選ばれる者の反対側には選ばれなかった者がいる。勝者がいれば敗者がいる。いわゆる優秀な者、という価値基準があるということはそうじゃない者、という概念が生じる。

 即ち陰があってこその陽。2つあっての構成される全体。

 

 たとえば以前。

 地元のある大手企業。仕事の取引先であり、そこで働く同級生何名かと話をしたり、状況をきいたことがあった。

 名前だけきけば優良企業。

 

 ただし、内実。

 30代に入る頃には段々と、出世組とそうでないヒラ組?に分かれていくようだった。

 そして、その出世組でさえ、最終的には本店、支社の数少ない上席の椅子を巡って篩にかかってしまう。

 ただし、偉くなる者がいるのは、偉くならないものがいる故のこと。

 

 そして。

 僕らは実は、社会の中で、職場で、人間関係で、常にどこか篩にかかっているのだろう。

 

 しかし陰陽があって一つなのだ。望む望まぬに関わらず、俗世にいる限りその輪の中にいるし、

 

 また、陽にいたはずが、陰にいつ落ちぬとも限らない。なぜなら陰と陽は循環するものだからだ。あるいは、同一人物の中で社会のあるコミュティーでは陽の動きをしていながら、同時に所属する別のグループでは陰、ということもあるかもしれない。

 

 つまるところ、篩にかかることはよいとしても。篩にかかろうがかかるまいが、そのときのその事象だけを見ていても、陰陽は流動的だから意味がない。

 

 最終的に、常いかなる時も自分自身は不変の何であるか。意味を成すのはそれだけだと思う。

身強の役割

 先日以前の職場にお邪魔し、同僚と久々の再会。

 

 その同僚は、柱3つとも強い星を持つ方でして。

 特に彼女は、陸路将軍、水路将軍が同居しているという珍しい宿命。

 見た目はお淑やかで、おとなしそう、ソフトな印象でありながらも。

 その実動き出すと止まらない、本音はバサバサきっていく、豪放磊落なところがあったり。

 

 職場がコロナ前、オープン3年目にして全盛期だった頃の当時の主力メンバー4名は、私を皮切りにどんどんやめ、11月に上長が辞めたことで今では彼女1人。

 そんな大変な中で職場を任されている彼女は、『私がやるんだ!』という責任感が芽生えているような気がしました。

 

 そうそう。煉獄さんも言っておりました。

 

 強い者はその力を、『守るために』さずかっている、ような言葉。 

 

 そこで感じたのは、強い宿命、干支をもつ人は、その力は『何かを守る』役割を得る、あるいは自覚することにより真価を発揮するようになるじゃないかと。

 少なくとも先日会った彼女からはそんな感じがしましたし(実際はもっと色んなことを感じたのですが)、

 

 それが、本当かどうか、ほかの人でも検証してみようかなと思います。

 

 

 

 

感覚の世界と算命学

 算命学を学んでいて感じるのは、概念を言葉で学ぶのとセットで、その概念、エネルギーを味わって体感していくことが大切じゃないか、ということ。

 そして、その世界には主に身弱タイプ、、、、特に天報星タイプが向いているのだと。その証拠に、お師匠様は天報星もちだし、兄弟子さんたちも身弱系が多い気がする。。

 

 残念ながら、私はオール身強もしくはそれに近いタイプなので、元々のタイプとしては算命学のそういう意味での才能はないのだ。

 つまり、向いているわけではない、多分習得はデフォではおそい。。。。

 

 

 が、そんな自分でも繰り返し学んでいて少しずつ体感できてきたのでは?と最近感じる。

 

 冬至前からゆるやかに始まって、節分一週間後くらいなんじゃないなあ、と

 

わかるひといます。これ?

 

 

 最近とりわけ思うのは、元旦って境目じゃないよなあ、ということ。