繊細な感覚と引き換えに失ったもの

 運命学を学ぶこと、求める者にはそれ自体に意味があり、また(もし運命学あら愛される者、という条件つきだが)勉強し始めた時点で新たなスイッチが入るということかもしれない。

 

 自分の宿命としては、もっている主星や主星は比較的「強い」はずだが、ある条件があるため「一見強いエネルギーを持ちながらも消耗も激しい」のだという。これを12月に習ったのだが、それを受け入れるまではがむしゃらに働けてたのがまだあったのだが、受け入れてからは、消耗がものすごく激しい、と自分でも思えてきた。

 

 これは思い込みともいえなくもないのだが、ただしそれを知らずにまだまだがむしゃらに働いていれば、ずっと先のどこかでバタっといっていただろう。

(事実、仕事のピークを終えて年末年始にはホッとしたのか体にどっと疲れがきた)。

 

 そのかわり、前に比べてエネルギーの流れを実感を伴って少しずつ読めるようになってきた、のかもしれない。

 つまりこれは流れに身をまかせる感覚に少し近づいてこれたかも、というところ。