自分が、自分自身の最良の友であること

  インディアンへの教えや、他色々、このような教訓はある。

 

 この意味が、ずっとしっくりこなかったのだけど(というか、自分では頭では理解していたつもりだけど、なんとなーく違和感があり、体で理解してなかったことに気づき)、それが、最近少しずつわかってきたように思える。

 

 子供の頃、喘息の発作やひどいアトピーで苦しかったころは、それを感じないようにすること、医師に処方された薬を飲んだり、塗ったりする以外はひたすら症状がおさまるまでやり過ごすことが、最善の策だと感じていた。あとは、そのままでいたら、いずれ治るだろう、と。苦しいという感情を出す分だけ、エネルギーの無駄になるだけ。でも、喘息であれば、発作が起きても吸入して、安静にしていればいつかおさまる。なんでもそうで、周りにアトピーのことを噂されようが、いじめられ?ようが、何を言われようがそのときだけだから。ある意味それが自分の今の意識に影響している気がする。

 

 また一方で、中学以降体育会系の部活で高校まで鍛えたこともあり、がむしゃらにやることも覚えた。

 (その副作用として、スポーツは苦手なのに球技系の部活でありながら校内のマラソン大会で校内上位に入ったことまである)

 ただし、その根本には苦痛からの逃げ道、やり過ごす、ということ、なんらかの虚しさがあったから、組織内で勝ち上がること、勝利への執念などには、実は乏しかった。

 

 そのようなものに振り回されて、それが自分だ、それ以外の自分はない、と思い込んでいて、それで割り切っていた(というか、日々の目の前のことに没頭しようとして考え込まなかった)から、またある意味自分を疎かにしていたといえよう。

 

 そんな中にあり、一年前より陰陽五行論について学び始めた。

 

 その中でようやく思い始めたこと。

 

 自分が自分に寄り添えていなかったこと。

 ある偏った分野への知的好奇心はすさまじい一方で、意外と世間には無関心。

 仕事も覚えようと表層意識では頑張るけど、どこか潜在意識で冷めている。

 

 外部へ興味を持っているつもりでも、意外と浅い。。。。

 

 その根本を突き詰めていったら、

過去のそういった自分を認められていない、ということにぶちあたった。

 

 また、その感覚をいかに扱い、変化させていくか、もこれからの課題だろう。

 

 まずは自分。自分を大切にしていけば、外部も自然と大切にできるようになるはず。