隠されているからこそ、価値のあるもの。

  本日は3連休の初日。

  ちょっと離れたところまで、同じ道を勉強する友人に会いに行った。

 

 そこで思いついたことだけど、「真に価値のあるものはネットに出回らないし、真の価値は大衆には理解されない。

つまり、事物そのものも、扱い側のレベルの高さを要求するんじゃないか」

 

 たとえば、何でも鑑定団でとんでもない高値をたたきだす名器でさえ、知らない者や、感性のない者にとってはただの茶碗でしかない。

  人生の大賢者の核心が詰まった名言でさえ、わからない者にとってはただの小言でしかないのだ。(自分にもいえる)

 

 そして2対8や、3対7、などの法則のように、要は上位一定数の人は価値を理解して使いこなすが、大半のものは本質をわからず見過ごす。。。

 むしろ逆に、学問であればその8割を狙って本質を希釈し加工して広めることで、認められ、収益を得る、支持を得るものもあるだろう。

  ただし希釈しているから、やはり本質は伝わり難い。

  真に本質を知ろうとする者は希釈されていることを感じとり、自分の目で耳で足で追求、探究していく一部しかいないから、やはり、本質のそれはますます一部の人のものとなり、秘匿されていく。。。。一方で希釈されたものは誤解されたまま広がっていく。

 

 そんなことを危惧せざるを得ない。ひょっとしたらあらゆる宗教、哲学、思想に起こりうるのかもしれない。