Inside view boot camp〜インサイドビュー・ブートキャンプ〜
ここ4週間のパソコンオンラインスクール、いわゆる「オン●インブートキャンプ」は一旦終了したのはちょっと前に書きました。ブートキャンプ、というだけあり、流石に簡単にクリアできるほど楽じゃあありませんでした(笑)
じゃあこれから何しようかな、と考えながらも、一昨日フェイスブックに何気なく自分の思いを書き込んでいたら、私の更新をみた古くからの知人(講師業をされている方)から「会わない?!」とお誘いのメッセをいただき、急遽昨日夕方会ってきました。
(火性を回す、つまり思いをシェアするって大事だなと感じた次第)
というか、昼間たまたま別の知人のところでも「働くって何?」というのを話し合うワークショップがあり、そこにも参加したので。
昼間、「働くとは何か」を考えるワークショップ(3時間半)→夕方、講師業の知人とお会いして、いい意味でこってり絞られて色々気付かされる(2時間)、というまさに
「インサイドビュー(内観)ブートキャンプ」というべき一日となりました。(※私が個人的に名前をつけただけです)
他人からの刺激を受け、シェアを聴きながらより集中的に自分の感情や思考もまとめていくプロセスといえば、2年前のU理論の先生による東京での「本当の自分を知るワークショップ」以来なのですが。
こういう時の思考は、仕事で使う頭とはどうやら部署が違うらしく、とことん考え、言語化した後の疲労感は仕事とは別のところにあったりします。それはそれで爽快なのですが、その代わり慣れないのとエネルギーの消耗も激しいので、帰ってからすぐにベッドに倒れ込んでしまったくらい(どちらかというと、エアロビクスやスポーツをして汗を流した後のような感じ)
昼間のワークショップは、「働くことに関するテーマ色々」について、質問の書かれたカードをそれぞれ引き(参加者6人が)各人が色々考え、シェアしていくという時間。
新卒採用1社目を辞めたばかりの23歳の男性、副業もしながら一見不自由なく働く男性、大学生の就活中の女の子、30近くになり「働くことについて」悩む女性。人生経験豊富なコンサルタントさん・・・いろんな方々と話して感じていたのは、自分て狭い枠の中でとらわれていたなあ、ということ。未熟か完熟かじゃなくて。正しい、間違っている、じゃなくて。
でもその時、それぞれにとっての「思い」「正解」がある。
そこの違いを受容する大切さと、自分の外にあるものがたくさんあると認識させられました。
また、夕方からの知人と会った時は。
「自分の中で予測不能なこと、アンコンローラブルなことが突発的に起こることなどに対し割と強い恐怖をもっており、ときとしてそれのせいで行動や感情が制限されてしまうらしい。また可能性も制限してしまう」
ということに気づきました。
それをクリアするのは・・・一つは感覚だけに頼らず、論理的思考と併用して事実と解釈を分けて考える習慣をつけること。(そもそも私はほぼ完全な感覚派だったりします)
実はこのアイデアは、これまでもちょくちょく湧いていたのですが、その大切さをより自覚する時間となりました。
ちなみに。
帰りに古本屋で買った本には、(前の持ち主がとり忘れていたのでしょう)
たまたま写真のようなカードが挟まれていました。
詳細はわからないのですが、いわゆる「マーフィー」や「ナポレオンヒル」の高額自己啓発プログラムの中のアファーメーションに使う教材のようなものかという気がします。
元ネタはニーバーの祈り、というものですが、宇多田ヒカルの曲の歌詞にも形を変えて引用されているフレーズです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A
自分の当面の課題ってちょうどこれなんだなと感じました。
※花供養は思うところあり、一旦リセットします。
あ