「ジャーナリング」

 最近、朝ジャーナリング、ということを通して自分を見つめる時間を作っています。

 簡単にいうと、朝一定の時間をとって(私の場合は5分)、ひたすら思うままにノートや紙に、心に思い浮かんだことをペンで走らせる、というプロセス。やると、頭がスッキリしたり、普段表層意識で考えていなかったことが浮かび上がってきたりします。

 

 https://www.lifehacker.jp/2015/11/151118_simple_habit.html

  

 ちなみに、この作業は、地元でご活躍されているファシリテーターさんや、知り合いのコーチングをされている方も最近イベントで取り入れているものです。

 

 さて。

 書いているプロセスで発見したことですが。

 「自分はやっちゃいけない、できない。やる資格がない、夢を見ちゃいけない」

 「ねばならない」「じゃなきゃならない」

 こんな思いがあったようです。

 この観念はおそらく幼少時代にできたのは確か。具体的にどこでできたのかまではまだ特定できていないのですが、彼らがいかに自分を狭くしていたことか。

 

 無意識的には龍高星的要素が大きい私ですが、それゆえに「束縛」「ブロック」「制限」またそこからくる「息苦しさ」は当然、ずっと自分を苦しめて続けていたわけです。

 

 何回、何度周りからヒントをもらっていたとはいえ、大学時代から何度となく「上書きしていた」とはいえ、どん底に落ちるたびにこいつらが常に顔を出しささやいてきたり、また重要な場面で足を引っ張ってきたのかも。いくら新しいことに挑戦しても、外に出ても、自由を求めても、後ろの壁の陰から監視されていたような感じ。

 

 (ただ、彼らも彼らなりに私の心を守る防衛機能を果たしてきてくれたわけで「決して悪ではない」のは確か。事実、勉強へのモチベーションを高めてくれたのも彼ら、部活への気合いを高め、ひいてはひ弱な私の運動能力を人並み以上に伸ばしてくれたのも彼らなのです)。

 

 さて、知った上でどうするか。彼らのこれまでの働きにも感謝しつつ、でももうそろそろ卒業してもいいかな。

 徐々に手放していきたいもの。

 

 花供養3日目終了。