『剋されなければ』才能は発揮されない。

 たとえば『水火既済』のように、自分の外面でも内面においても、葛藤やぶつかり合い、自分自身と向き合うことなくして『望む対価』は得られないように思います。

 

 何も苦労や挑戦なくして成功した人を未だに見たことがありませんし、また大きく成功している人は例外なく、相応の代償を払っていたりします。

 言い換えると、今ある苦悩や困難に正しく向き合い、対処することができるのであれば、それら苦難や困難は光明への道標でもあるのではないでしょうか。

 たとえ『人生に苦労していない』といっている一でさえも、物事を自分のいいようにだけ解釈していて課題が見えていないとか。逃げているだけとか。あるいは課題を発見すること自体がクリアすべき課題だとか。

 

 

 

 そこにあるのは陰陽説の『陰と陽』、五行説でいう『相生相克』。

 物事には必ず両面、たとえば長所があれば短所があります。

 また五行でいうならば、現実における成果を短期的に得ようとするならば、信念をもち世のため人のために尽くすことから発生し、現実における役割は想いを分かち合うことから生まれます。

 おもったような人脈、お金、愛情を得られていないのは、ひょっとしたら自分のことしか考えず行動している為かもしれませんし

 現実において地位や役割、立場を得られないのは、自分の心からの想いを周りに『分かち合ってない』からかもしれません。

 注)ただ発信する、伝えるのと『分かち合う』のは違います。

 

 

 そのことを、よくも悪くとつくづくと感じさせられるこの数ヶ月。天中殺が明けるまでに自分の見直しをさらに。