継続、と主体性

ここ数ヶ月、今日も感じさせられたのが。

 何気ない一見変化のないようなルーティンを一定期間積み重ねることも大切で、

 そのときは一見意味がわからず、結果に繋がるように見えなくても

 あるとき一気に爆発して、現実面において開花するらしい、ということ。

 今日もある場に居合わせたときに感じたけど、その『ある』積み重ねを、結果が出るまで腐らずにできるかどうか。
 3年でも、5年でも、10年でも。

 結果として得るのは、味わう達成感、感動かもしれないし、金銭的、名誉、免状、資格、人脈、、、
かもしれない。

(今日は、5年続けた方々の場に居合わせたのもあり、その方々から、、、色んな感情を感じた、、、ような気がする。気のせいかもだけど。)

 
 何かを継続、努力し続けられること自体が才能だ、と色んな方が仰っているが。

 経営などは別として続ける、だけなら惰性、慣性の法則で続けることもできるものもなくはない。

 ワクワク感とか、ネガティブな感情、など感情快楽で続けることも多分できなくはない。

 が、
 

 さらに、自分の意思、あるいは使命感などで、『主体的に毎瞬毎瞬自分をコントロールしながら、さらに周りに働きかけながら行い続けることができるかどうか。
 (人に影響を与える立場、、の人こそ、それを試されるのじゃないかと)

 果たして、そういうものが、今の自分にあるのだろうか?ただ薄っぺらに馬齢を重ねてきただけじゃないのか、と問い直してみる。

 たとえば、自分にはまだ10年間継続できたものはない。3年なら、、、、ない、、のでへたれ。

 意思でもって積み重ねたら、何か見えてくるのだろうか?

 そもそも、自分は今主体的に生きてるか??

 ネガティブな意味での守りに入ってないか。

 そこじゃないかなと。