想いをシェアする、ということ
想いをシェアする、ということについて。
何故か先程唐突に思い出した。
10年前に入った会社。入社2ヶ月目で当時の上司にいただいた業務命令は
「異業種のコミュニティーで開催されるスピーチコンテストで、好きなテーマで皆の前で話すこと」
というもの。
。。。。。大勢の人前で話すことが苦手だった自分(今でも)。また、そうした機会もこれまでの仕事では経験したことがない自分。しかも大勢の前で話すことが仕事と直結するわけじゃない。
?と、思うと同時に一瞬ネガになった。
が、当時の自分は言われるがまま、ただやってみよう、と決めていたので
あるテーマをチョイスし、プロットを仕事の合間に1人で組み立て、先輩にみてもらいながら練習し、当日登壇の日を迎えた。
そのときのことはあまりよく覚えていない。
でありながらも、とにかく30.40人の人生の先輩方を前に、超絶緊張し、逃げたい感覚を抑えながらも(笑)、限られた時間で一所懸命、文字通り全身全霊で話した。
エントリー6名の中で、他の5名がうまくて引目を感じたのと、あと全体的な評価としては決して褒められた方じゃなかったけど、
ただ、帰り際に、たった1人だけ
「あなたの想いがすごく伝わってきました。すごく共感しました!」
と声を掛けてくださった方がいたのは覚えていて、「わかってくれる人がいたので嬉しい」、ということ、とクリアーな想いは伝わるんだなあ、と感じたのも覚えている。
(今から思えば、上司は自分に必要なものを見抜いていたのかもしれない。)
残念なことに、そこからこの仕事が劇的にうまくいくことはなかったけど。
ただし別の側面でいいことはあった。
誰も友達がいなかったその地で、話したテーマをきっかけにしてしばらく付き合うことになる仲間たちが(少数)できた。
うわべだけの借り物の言葉、嘘って表面上は通るように見えても、どこかでボロが出る。
一方で体験、実感などに裏打ちされた言葉、行動は、拙い言葉であっても説得力がある。
結果的にみたら、コンテストで話したことで、想いを伝えること、の重要性とか、本質を体験していたんだ。
この想いをシェアする、というところ。果たして自分が今どれだけできているか。正直なところ、話さずに、また話せずに溜め込んでいるものって少なくなったりもする。(もっとも、放出すると大洪水を起こす気もするけど)
が、改めて磨いていきたい。