アウトプット、チームビルディング

 今学んでいる帝王学の、兄弟子の先生より本日お言葉をいただいた。

 

 「あなたをみていると、学んだことをアウトプットしていく、もしくはチームビルディングに生かしていく方向に向いているような気がします」

 

 多分、宿命をみて言われたのだと思う。。。

 

 現状恥ずかしながら帝王学を学んだとはいえ、目に見える変化はまだない。

 

 少しずつ変化はしてるのだろうが、まだ今は冬の時期、というのもあるのと、精神を高める時期、というのがある。

 

が、一番は変化を恐れてる自分にも気付いた。

 

 環境の変化に抵抗する自分。このままでいたい自分。

 

 停滞や安定は、ともすればただ劣化していくのみ。変化していこう。

師匠の家で字を練習する夢

 最近体調が優れず、なのにわりとハードに働くので体が休まらない。そんな中なので、寝ていても夢をみるだけど、わりと変な夢が最近は多い。

 

 今朝みていた夢では、学問の師匠の家にいた(といっても、リアルに行ったことはないので、「家じゃないか、と思える住まい」だった。)狭い、隠者の住まいのようなところだった。それでも、兄弟子にあたる方々が何人も、日々師匠の家に教えをこいに訪れている。私もかくいう一人で、また、私に師匠を紹介してくれた友人も一緒に来ていた。

 

 夢の中では色々教えを乞うていた気もするけど、印象に残っていたのは、まるで小学校の宿題のように、私も含め、ノートに平仮名を一文字一文字丁寧に書いていたシーンだ。

 

 これは一体何を意味するんだろう?

 

 なにか暗示があるとするなら、起きて考えたのは、

1、基本をまずしっかり、ゆっくり丁寧に取り組みなさい。(ひらがなを小学校の時ごとく書いていたことから)

 

2.表現の仕方を練習しなさい。(書くイコールアウトプット、だから)

 

 この両方とも、実は今の自分のリアルな課題でもある。

 

 何か深いものを感じるので、改めて意識してみようと思う。

 

色んなエネルギー階層

  「この現実」と思い込んでいるのは実はそれ単体ではない、色んなエネルギーや、層の重なった世界。

 

 ゆえに、今見ている現実は自分の見るべきして見るもの、感じたいから感じるもの、、、である一方、そのフォーカスをずらすこともできるんじゃないか??

と今感じた。

  

 知らず識らずのうちに現実面の変化を拒むようになっていた。この世界の本当の様相を知らないにも関わらず。

 

 体の調子が悪く、先程病院に行ったら胃腸炎との診断。

 

   色んな重いなにかをうけたとき、体調が悪くなりやすい。

 

 ならば、受け流せばよい。

 

 その方法を今探っている。

ムチハラ

 先日、会社の元上司だった方から、このような用語を聞いた(この方が作った、、、と自称していた^^;その方はさらに上の上司に呆れ、会社を去るとのこと。)

 

 簡単にいえば、無知によるハラスメント。馬鹿は罪、無知は罪ということ。

 

  無知ゆえのミス。行動。それが一度な

らまだしも、何度も行うのは命とり。かくいう自分もあることがある。

 

 気をつけねば。

 

 

 

自分が、自分自身の最良の友であること

  インディアンへの教えや、他色々、このような教訓はある。

 

 この意味が、ずっとしっくりこなかったのだけど(というか、自分では頭では理解していたつもりだけど、なんとなーく違和感があり、体で理解してなかったことに気づき)、それが、最近少しずつわかってきたように思える。

 

 子供の頃、喘息の発作やひどいアトピーで苦しかったころは、それを感じないようにすること、医師に処方された薬を飲んだり、塗ったりする以外はひたすら症状がおさまるまでやり過ごすことが、最善の策だと感じていた。あとは、そのままでいたら、いずれ治るだろう、と。苦しいという感情を出す分だけ、エネルギーの無駄になるだけ。でも、喘息であれば、発作が起きても吸入して、安静にしていればいつかおさまる。なんでもそうで、周りにアトピーのことを噂されようが、いじめられ?ようが、何を言われようがそのときだけだから。ある意味それが自分の今の意識に影響している気がする。

 

 また一方で、中学以降体育会系の部活で高校まで鍛えたこともあり、がむしゃらにやることも覚えた。

 (その副作用として、スポーツは苦手なのに球技系の部活でありながら校内のマラソン大会で校内上位に入ったことまである)

 ただし、その根本には苦痛からの逃げ道、やり過ごす、ということ、なんらかの虚しさがあったから、組織内で勝ち上がること、勝利への執念などには、実は乏しかった。

 

 そのようなものに振り回されて、それが自分だ、それ以外の自分はない、と思い込んでいて、それで割り切っていた(というか、日々の目の前のことに没頭しようとして考え込まなかった)から、またある意味自分を疎かにしていたといえよう。

 

 そんな中にあり、一年前より陰陽五行論について学び始めた。

 

 その中でようやく思い始めたこと。

 

 自分が自分に寄り添えていなかったこと。

 ある偏った分野への知的好奇心はすさまじい一方で、意外と世間には無関心。

 仕事も覚えようと表層意識では頑張るけど、どこか潜在意識で冷めている。

 

 外部へ興味を持っているつもりでも、意外と浅い。。。。

 

 その根本を突き詰めていったら、

過去のそういった自分を認められていない、ということにぶちあたった。

 

 また、その感覚をいかに扱い、変化させていくか、もこれからの課題だろう。

 

 まずは自分。自分を大切にしていけば、外部も自然と大切にできるようになるはず。

 

 

 

  

夢の中のドラゴン使い


 どこぞの街の中で、自分を含め何人かで、鳥の巣のようなカゴを持っていた。中には白い卵一つ。


 ある瞬間に、各々の卵が割れそこから一斉に巨大なドラゴンが出現。僕らはそれぞれ戦いに興じだした。。。。  


 だがそのドラゴンたちは実は3Dホログラムのものだったのだ!!


 と、こんな夢だけど、夢占いにこんな変な夢の例があるわけがない。


 ただ、ヒントとして、ドラゴンはどうやらエネルギーの象徴らしい。


 また、夢を見たあとはなんとなく、昨日より力がみなぎっていた。


  ということは、なにかの拍子に自分自身のエネルギーの根元に触れてしまったのだろう。


 そのエネルギーの根元、自分の推測は飽くなき探求心、好奇心。なぜ?と突き詰めようとするスタンス。


 








3日間。

 今夜まで3日連続の呑みだった。

 1日目→元上司(現社に入社する際に面接していただいた方)

2日目→道を同じくする仲間、先生との勉強会の後の飲み会。

今夜→取引先の方と。

 

  なんだろうね。

 

   仕事で思うのは、物質的な成果の前には精神的な在り方が大切だということ。

 

 昨夜は相互共存、つまり身の周りの嫌いな人を避けてはならない、ということをならった。

 また、マインドフルネス、という概念を学び、そこから何かが変わった。

 

  現実は急には変えられない。

 

ただ、在り方、世界への接し方を変えれば徐々に景色を変えていける。

 

 そう感じた。