文房具をどこまで100均で譲歩するか?
以前は仕事の道具としての文房具を100円均一で購入したときもありましたが。
そのときは、私はたとえば付箋などは貼りつきが悪かったり、ノートなどは紙質が少し気になったり。
もっとも、気になり具合や好みは人により異なるし、日々進化しているので絶対的なことはいえません。
ただ、安定した品質を求めるなら専門店で購入した方がいいように思います。
ツールの更新を考慮する
職場で思ったのは、たとえばpos関連なんかは旧態依然だと、業種業界によっては時代遅れになる。
1番端的にいうなら、コンビニのレジがどんどん進化していくようなもの。
一方で、たとえば書道やペン字がまだ残っているのは、それを使う層がいることと、連絡伝達のしゅだんそのものとしては弱くなったが、ある意味芸術としてなどの意味でギャク張りしているから。
しかしそれも状況によって変わるので、将来的に無くなるかも。いいたいことは、文房具、スマホ、時計、、その道具の有用性、目的とその時代性を考えること。
古いままのツールにこだわる企業、店はその辺りを注意しなくてはいけないだろう。
『どこで食べるか』は結構大きい要素。
ラーメン屋の長年の人気店、長年人気の食堂はなぜ飽きられず愛され続けるのか?インパクトに残るのか。
おそらく味や利便性だけでなく、そこで食べたというステータス感、、、だけでとなく、いつ、どういう心境で誰と食べたか、通っていたというストーリー、思い出も要素になってくるのでは、とふと感じた。
たとえば大学時代、大学の近くにあってよく通っていた『某h亭』という定食屋さん。
店主のおっちゃんは無愛想。味はまずまずだけど値段の割にかなりのボリューム。なのでよく当時友人と通っていたのだが。よく通いながらサークルや授業、他色々話をしていた。
で、実は最近同じ大学出身のだいぶ後輩にあたる方とたまたま出会い、お話ししたとき(大学は地元と離れているから、同大学出身の人に会うこと自体かなりレア)に『某h亭』の話が出てきた。
接客がよいわけでもなくめちゃくちゃおいしいわけでもない
けど、彼もそのお店の常連だったとのことで、親近感が湧き話も盛り上がり、まだ店があったら行きたいねー、という話になった。
こんな風に、食は食べ物だけでなく、その時のシーンによって彩られることもあるんじゃないかと。
病気・不調の根本原因
同じ勉強をしている先輩の方のお話を伺っていて。
自分の思っていたことと一致していたのが、
「一見病気の原因と思われる、例えばアレルギーにおけるアレルギー物質や
外的ストレスは実はトリガー(きっかけ)に過ぎなくって、その根本はその人の
内面にあるんじゃないか?」ということ。(※例外はあるかもしれませんが)
内面と向き合うことは自分の課題でもあるのですが。
内面に向き合う、とはつまりは自分の中の思い込み、固定観念などを見つけるということ。
例えば同じ失敗を繰り返してしまい、改善しない、、、ということは、だいたいその根本の自分の心持ちに何か問題があると言えるでしょう。
職場での人間関係がうまくいかない、緊張しやすい、決められた時間を守れない、前に出る時に躊躇いがある、、、云々。
これらに向き合うことは(慣れていないと)単独では難しいもの。そして、例え導いてくれるカウンセラーやコーチがいたとしても彼らの技量により如何にでも変わってきます。
ただ、肝心なのはまずは素晴らしい導き手に出会うこと、第二にその導き手に頼らずとも自分で解決していけるまでに成長することではないでしょうか。。。
そのプロセス自体簡単ではありませんが。。。。
「アウトプットする道具」もとても大切
自分の文章を書く上での挫折した経験の一つとして、鉛筆やシャーペンの使い心地が悪いから、ノートの書き心地が悪いからやめた、というのが過去にありました。
(&そもそも手を動かしてのがめんどくさい・・・・のもありますが)
余程切羽詰まってなければ・・・ですが、日常的に用いるようであればペンやノートの材質・品質にも拘ってもいいのかな、とたまに思います。
手書きの効用ってある意味感覚としての記憶に残りやすいし、より自分の無意識が反映されやすいことだと、自分なりに感じています。
そして漢字の感じで(ギャグのつもりではない)、物事のイメージを掴めたり、そのままブレーンストーミングでアイデアが出たりというのもあるかも。ここは人によって違うかもしれませんが。
マインドフルネスとしてジャーナリングでは、書くことによりモヤモヤした感覚の発散にもなっております。
・・・・と言いながらも、最近は自身もっぱらメモもスマホかPCから打つようになりました。こっちの方が便利だし、秒あたり多くのアウトプットができるし。。。。
ゆっくりできる時には手書きも増やしてみたいもの。