リーダーシップ、内面からの魅力
って、天性の才能とかもあるかもしれないが、後天的に磨ける気がする。
たとえば最近思うのが、すごくリーダーシップが発揮できそうな設計図を持っていながらもなんらかの理由でできてない感じのひと、逆に芸術的才能がなさそうながらもその道で力を振るうひと、それぞれ。それはやはり、設計図だけでなく後天的努力、環境により人は道を切り開ける、という証なのかもしれないと、思う。
あと、内面からの魅力。これも経験を経て出てくるものもある。
ゆえに、才能がない、と諦めずに努力しよう。
眠気
ひとときあやのさん、という、その人をみて感じるものをアートにして描いてくれる絵描きさんがおり、今日は個展を観に行きがてら、僕も描いてもらうことになった。
下の写真はその個展の絵で、今まで描いた絵100枚くらい飾ってあったのだが、実際には500名以上は描いているのだという。
上の絵は、まさに僕が描いてもらった絵。
この絵は、その個展である他の絵とも全然違う気がする。
星?や龍?も描かれている宇宙みたいな感じがするのだが、その中心の奥の丸まではものすごく奥行きがあるようにも感じる。どこまで深いんだろう。。。。
ところで、最近やたら眠い。
自分の場合、よく寝ているのにさらに眠い、というこの感覚にはいくつか心当たりがあり
①これまでたまってきた潜在的な疲れ、体の痛みを修復するための眠気
②地震他天変地異が近い
※地震の場合は、逆にやたら寝つきが悪くなることもある
③自分自身の現実面の大きな変化への前触れ
そのどれかに当たることがままある気する。
ただ、予感的には今回は3の気もするのだが。
楽しみでもあり、怖くもある。
さらにそんでもって、描いてもらった絵の意味を解こうと見つめてたら、さらに眠くなってきた。たぶん、描いてる過程で癒されたのだと思う。この絵は不思議で、見ているだけでも癒されるし、見飽きない。感謝。
とりあえず休む。
繊細な感覚と引き換えに失ったもの
運命学を学ぶこと、求める者にはそれ自体に意味があり、また(もし運命学あら愛される者、という条件つきだが)勉強し始めた時点で新たなスイッチが入るということかもしれない。
自分の宿命としては、もっている主星や主星は比較的「強い」はずだが、ある条件があるため「一見強いエネルギーを持ちながらも消耗も激しい」のだという。これを12月に習ったのだが、それを受け入れるまではがむしゃらに働けてたのがまだあったのだが、受け入れてからは、消耗がものすごく激しい、と自分でも思えてきた。
これは思い込みともいえなくもないのだが、ただしそれを知らずにまだまだがむしゃらに働いていれば、ずっと先のどこかでバタっといっていただろう。
(事実、仕事のピークを終えて年末年始にはホッとしたのか体にどっと疲れがきた)。
そのかわり、前に比べてエネルギーの流れを実感を伴って少しずつ読めるようになってきた、のかもしれない。
つまりこれは流れに身をまかせる感覚に少し近づいてこれたかも、というところ。
今年のテーマ
今年の抽象的なテーマは
「境界線を見究めること」「収束していくこと」「人間社会で生きる感覚をつかむ」
今日唐突に思い出したのだけれども、大学時代のサークルの恩師が仰っていた。
「30までは色々手を広げていってよい。でも、30を越えたら今度はそれを絞っていくこと」。
その言葉通りかどうか、同世代の周りの友人は皆自分の道を見つけとっくにつきすすんでいる。
遅ればせながら、自分はようやくその輪郭の感覚を掴んでこれたかな〜、というところ。なにより、ひとより現実感覚が鈍かっただけなのだ。
ゆえに、ようやく掴んだ感覚を持って、これまでのものを一分野でも収束させていって、感覚を掴まなきゃいけない。
一旦、死ぬか死なないかほど全力で取り組んでみて、そして終わらせてみる。そうでないと見えない世界がある。だが、幸か不幸か、鈍感なせいかそれを味合わずに生きてきた。
というか、実は世界が無限に広がりすぎているがゆえに、何かサイクルを回すこと、制限や枠を設けること自体阿呆らしいと思っていただけの疑いもあるが。。
けど奥底では、今になりそんな覚悟と経験を欲しているらしい。
先祖〜今に流れる系譜
本日はお昼から、長らく会ってなかった親戚とお昼から繁華街へ。
その方は、自分の小さい頃に亡くなった親父の従兄弟にあたる。以前お会いしたのが、小さい頃で、お酒を交わすのは初めて。
で、今のお仕事をきくと某大企業に属しながら、これまた某大企業の幹部向けにコーチング、研修をしているのだとか。別れた後ではっとしてびっくりしたのだが。
そう、自分の家系って、父方も母方も優秀な方々ばかり。学歴もそうだし、あと教員が多い。
なんでかなー、と思って、ある仮説をその親戚に投げたらまさにそうだった。
今の苗字からだけでは想定できず、家紋や地域の歴史を調べてやっと僕は仮説に行き着いたのだが、やはり先祖様がある有名な学者だった(と、その人の父からきいている)とのこと。
今まで仮説だったものが、ちょっと裏付けがとれたのが嬉しいとともに、ますます勉強しなければ!という思いが強くなった。
こうやって、ベストなタイミングでベストな事実を知る。意味があるんだろうなあ。。。
人により学びのプロセスは異なる
私の場合、いくら本を読もうが結局体験してみないと腑に落ちないというか、理解しえない性質があるようだ。
そんなこんなで、衝動にかられ、正月はひたすら算命学の勉強。
また、ありがたいことに少しずつではあるが、周りの方の宿命をみさせていただく機会も増えてきている(学び中のため、無論無料でだけど)。
その中で発見、気付きもあり。
ちなみに私の周りにはどんだけ、ていうくらい宿命天中殺持ちが多い。今の職場はもちろん、過去の友人関係、家族、サークルの仲間。。。そういうのを持ってない方は普通で平凡な人生だろ、とかそんなことを言う気はさらさらないのだが、持っている方は持っている方で、やはり通常社会に適合できなかったり、特殊な感覚をもつ人が多い。
出会うことになにかの意味があるのだろう。また私も、そのような方と結婚し、生涯を共にする予感もある。
ところで冒頭のセリフ。今の学問にシフトする以前で300人くらい、加えて今の学問にシフトしてからで合計500くらいか。先生曰く、1000人くらいみたら、何かが見えてくるという。
私ももう少しでその何か、が見えてくるだろうか、そんな気はしている。
コインの裏表
試練が多いということは、自分は試練の女神に愛されているということ。イコール試練に耐えうる強さの精神と身体を与えられているということ。
周りの人間関係に恵まれているということは、その愛を学ぶためにここにいるということ。
どちらも豊かだ。
どんな環境にあろうと、ものの見方次第で変わるのかもしれない。