友人と家紋

 生まれ年は同じ、生まれ月が一月違いの友人と話したときに、家系のルーツは、みたいな話になった。

 

 その際に私が、家紋からルーツがわかることもあるよね〜、と話し、彼の家紋をネットで調べることに。

 

 結果、解決したのだけど、改めて今日調べると、偶然か?と思われることがわかった。

 

 彼の家紋は特殊な右三階松、私のは丸に梅鉢なのだが、ひょーーっとしたら、ご先祖様同士で何か御縁があったのかもしれない。

 

https://lunabura.exblog.jp/18361545/

隠されているからこそ、価値のあるもの。

  本日は3連休の初日。

  ちょっと離れたところまで、同じ道を勉強する友人に会いに行った。

 

 そこで思いついたことだけど、「真に価値のあるものはネットに出回らないし、真の価値は大衆には理解されない。

つまり、事物そのものも、扱い側のレベルの高さを要求するんじゃないか」

 

 たとえば、何でも鑑定団でとんでもない高値をたたきだす名器でさえ、知らない者や、感性のない者にとってはただの茶碗でしかない。

  人生の大賢者の核心が詰まった名言でさえ、わからない者にとってはただの小言でしかないのだ。(自分にもいえる)

 

 そして2対8や、3対7、などの法則のように、要は上位一定数の人は価値を理解して使いこなすが、大半のものは本質をわからず見過ごす。。。

 むしろ逆に、学問であればその8割を狙って本質を希釈し加工して広めることで、認められ、収益を得る、支持を得るものもあるだろう。

  ただし希釈しているから、やはり本質は伝わり難い。

  真に本質を知ろうとする者は希釈されていることを感じとり、自分の目で耳で足で追求、探究していく一部しかいないから、やはり、本質のそれはますます一部の人のものとなり、秘匿されていく。。。。一方で希釈されたものは誤解されたまま広がっていく。

 

 そんなことを危惧せざるを得ない。ひょっとしたらあらゆる宗教、哲学、思想に起こりうるのかもしれない。

 

  

 

家系、指向の遺伝

  色々な社長様の話を聞いていて、感じたことがある。

 

 自らを深掘り、自己内省していくと、大体自分だけではなく、親や家族との関係性になっていく。

 んでもって、場合によっては今の家族だけでなく、祖父祖母先祖、、、との関係性になってくるらしい。

 

そして面白いことに、自分のルーツであり、今の自分に繋がっていたりする。

 

 昨日話を伺った、餃子屋の社長様も、実は親、親族に肉屋さんがいたらしいが、深掘りして調べると、その方の祖母が再婚して育ての父となった義父も肉屋さんだった、ということをいつぞや調べて分かったらしい。

 

 そういえば、とある士業の方に家系図を作るとよい、といわれたのだけどまだ作ってない。

 

  ちなみに、私の父方の家系は学校の先生が多い。幼い頃亡くなった親父は土木建築の設計をしていたらしいが、最終的には短大の先生だった。

 その父親の系譜を調べると、どうやら地主、その前は神官だったらしい。

  

 

 また、母親の家系は、母の兄弟は先生が多いが、実は祖母(母親の母親)の先祖には、地元でも有名な国学者、参謀となりうる方だったらしい。

 一方で、母親の父(祖父)は私が生まれた頃にすでにこの世にいなかったが、建物の建築士だったらしい。そこでよくきくのは家相学を使いこなしていたらしい)。

 

 ちなみに、父方も母方も従兄弟は頭がいい人ばかりで、むしろ学歴では自分が一番の落ちこぼれではある。。。

 

 その中にあり、自分の生まれてきた意味は何か?

 

 学校の先生は視野が狭くなると感じ、進路から除外した。

 元々文系のため建築にはいけず。

 ただし、「なぜか」風水、陰陽五行思想には興味があった。これについては、親とかから教えてもらった記憶はないのになぜか興味をもち、自分でかじるようになったので不思議。(が、厳密には風水と家相は違う)

 

 今学んでいる学問。そして自らに与えられたちょっと変わった命式。

 最近たまに考える。

 

令和感0だわ

   勤務先の企画提案の参考に、地元の駅前ショッピングモール、および催事のフリーマーケット広場にいってみた。

 

 そしたら面白い発見があった。

 今回は地元の地産品のフェアだったのだが。

 

 なんと、令和にちなんだ商品はほぼゼロ!

 

 しかし、その中にたったひとつ令和にちなんだ酒があり、それはなんともうすぐ売り切れだったという。。。。

 

 一方、2店の地元の和菓子屋さんに行ったところ、1店は令和にちなんだ商品はなし。

 ただ、もう1店は、令和にちなんだ商品はないが、慶事、祝事にちなんだ商品はあった。

 

 都会ではおそらく当たり前にやってるけど、地元ではたぶんやってない。

 

逆にいえば、タイミングを捉えればうまくいくということだ!

離れる、感覚

  変な予感、というのが備わっていて。

転勤族だった私は 「その地を離れる数ヶ月前」に、その感覚と、方角が示されるという妙な能力がある。

 

 

 

 今回の方角は北東??もしくは何故か空を向いている??ということは飛行機でどこかへ向かうのか。。。。

 

 当たるかどうかはわからないが。。。

自分のテーマ

2年前の東京のワークショップでとったノートを見返していて、(ワークをした中で明らかになった)すっかり忘れていた自分のテーマを再確認したのだけど、「隠された価値のあるものを世の中に伝えていく」。言葉を変えると「まだ見えてないものを探究、明らかにし、周りにアウトプットしていくこと」だったと思い出した。。。哲学者か。本日昼間に先生よりご指摘いただいたこととリンクした。

 

 

あまり展望はまだ経ってないけど、 将来としては、自らのビジネスを持ちながら講師、ファシリテーターをしながら飛び回りたい。

 

  

令和、前夜 「何を捨て、何を残すかで人生は決まる」

  令和を迎えるから、というのもあるかもしれない。

  令和の時代、私の直感でもあるし、いくつかのサイトにもあったが、オリンピック以後に日本経済は急落し、日本人も二極化していくんじゃないかと。

 

 その中で今のサラリーマンの私は当然今のままでは悪い方に入るだろう。ゆえに変化しなければならない、ということで本を読んでいる。

 

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 おおまかな要約としては、

「過去の常識には流されず、自分で必要なもの、不要なものをしっかりと選び、自分のライフスタイルをつかめ」(タイトルそのまま)ということ。

 

  読んで気付いたのだが、まさに今の私はその真逆をいっている。

 

 ただ、この本を読み、要らないものをまず手放していこう。