先祖〜今に流れる系譜

 本日はお昼から、長らく会ってなかった親戚とお昼から繁華街へ。

  その方は、自分の小さい頃に亡くなった親父の従兄弟にあたる。以前お会いしたのが、小さい頃で、お酒を交わすのは初めて。

 で、今のお仕事をきくと某大企業に属しながら、これまた某大企業の幹部向けにコーチング、研修をしているのだとか。別れた後ではっとしてびっくりしたのだが。

 そう、自分の家系って、父方も母方も優秀な方々ばかり。学歴もそうだし、あと教員が多い。

 なんでかなー、と思って、ある仮説をその親戚に投げたらまさにそうだった。

 今の苗字からだけでは想定できず、家紋や地域の歴史を調べてやっと僕は仮説に行き着いたのだが、やはり先祖様がある有名な学者だった(と、その人の父からきいている)とのこと。

  今まで仮説だったものが、ちょっと裏付けがとれたのが嬉しいとともに、ますます勉強しなければ!という思いが強くなった。

 こうやって、ベストなタイミングでベストな事実を知る。意味があるんだろうなあ。。。

人により学びのプロセスは異なる

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 私の場合、いくら本を読もうが結局体験してみないと腑に落ちないというか、理解しえない性質があるようだ。

 

 そんなこんなで、衝動にかられ、正月はひたすら算命学の勉強。

 また、ありがたいことに少しずつではあるが、周りの方の宿命をみさせていただく機会も増えてきている(学び中のため、無論無料でだけど)。

 

 その中で発見、気付きもあり。

 

 ちなみに私の周りにはどんだけ、ていうくらい宿命天中殺持ちが多い。今の職場はもちろん、過去の友人関係、家族、サークルの仲間。。。そういうのを持ってない方は普通で平凡な人生だろ、とかそんなことを言う気はさらさらないのだが、持っている方は持っている方で、やはり通常社会に適合できなかったり、特殊な感覚をもつ人が多い。

 出会うことになにかの意味があるのだろう。また私も、そのような方と結婚し、生涯を共にする予感もある。

 

 ところで冒頭のセリフ。今の学問にシフトする以前で300人くらい、加えて今の学問にシフトしてからで合計500くらいか。先生曰く、1000人くらいみたら、何かが見えてくるという。

 私ももう少しでその何か、が見えてくるだろうか、そんな気はしている。

  

コインの裏表

 試練が多いということは、自分は試練の女神に愛されているということ。イコール試練に耐えうる強さの精神と身体を与えられているということ。

 周りの人間関係に恵まれているということは、その愛を学ぶためにここにいるということ。

 どちらも豊かだ。

 どんな環境にあろうと、ものの見方次第で変わるのかもしれない。

肩書きではない

 以前属していた団体の「身内」のゴタゴタに巻き込まれた、わけではないが、その様子を遠くから今みているような感じ。

 そこで感じた。

 

 以前その「資格の団体」にいたときに、団体が標榜していたのは「資格」「お金」「名誉」「仲間」云々。。。。。直接的にそうは言わないがそれらが手に入るよと。

 

 

 

 確かにこれらを欲しがる人は多いだろう。私も疑いを持つことなくのめり込んだ、、、気もしていたが、そういえば最初からマルチビジネスもといネットワークビジネスに近い匂いはしており、いやしかしネットワークビジネスであるならばまだいいけど、底の浅さを予感していた。

 

 だが、そこではない。

 実のところ私が嫌気が指した理由は、徳を高めることもうたってるわりに、人間社会のドロドロとか、上の人間の質どうこう、もあったが、自分の知識欲を満たしてくれなかったのがさらに勝る。

 

 実際その通りに、ある一定まで学んでみて思った。

 底が浅い、、受講料の高さの割に。

 そして、市販の本でも載ってそうな内容じゃん。多分ググってもその内容に近づけるかもしれない(もっとも、概要の知識あってこそだが)。その理由はわかっていた。内容のネタ元を隠していたから。売りやすいように美辞麗句を重ねカスタマイズしていたから。だからわかりやすいようでわかりづらくなる。

 

 そこまで見えてからは自分から無意識のうちに、その根本にあるものを外に求めるようになってしまった。。。

 

 そして出会ってしまった。

 知識欲を満たしてくれる奥深いものを。

 

 私のパーソナリティーとしては実はものすごく体験学習型であり、また精神世界向きであるらしい。

 昔教わっていなかったことが、今の勉強でわかるようになってきた。

 

 そして、昔のものとは、今年の2月に入ってからはパタリと縁が切れた。

これも一つの出会いと別れ。

 もっと、真理を求めていく。

 

 

何かに導かれて

  今年一年の出来事を振り返ると。やはり何かに導かれているのではないか、としか思えない。

 

 今年2月から年運天中殺。で、入った頃に算命学の勉強を始めた。

 

 その算命学の命式を読むための理論的な部分、それと思想的な部分(仏教もあったり、色々)は月1の授業でいつもセットになっているのだが、最近になってそのセットになっている意味がなんとなく理解できてきたような気がする。

 

 入塾する前のプレセミナーで説明していただいた、今のお師匠の兄弟子にあたる先生に尋ねたことがある。

 

「これって相手の生年月日を知れば、悪用して相手を潰すこともできますよね?」

 

 そしたらこう言われた。

「結論、可能です。ただしそれは悪因縁を作ることになるからやめた方がよい」

 

 因縁とは何か。私はまだその正体までわかったわけではないが少なくとも私は一般人でいえば2.300人に1人くらいの変わった宿命を持っているらしい。それだけならまだしも、同じような特性を持った人が周りに異常に多く、どう考えても偶然にしてはできすぎているのだ。とはいえ、もっと異常な環境の人もいるかもしれないが。

 

 その事実を知っただけでも何か意味があり、過去世か先祖の代で何かがあったからこうなっているではないか、と思える。(あるとすれば母方かもしれないが、多分この先習うだろう)

 

 勉強していくうちに、そのような感覚に慣れてくる。

 

しかし、それでもまだ一年。先は長し。

 

 

 

人生で起こる出来事には、何か意味がある

「人生で起こる出来事には、何か意味がある」

大学時代だからもう十数年前か。

同じ生年月日の友人の女の子からもらった年賀状の裏面一杯にでっかい文字で書かれていた言葉。

一年前までではなく、一ヶ月前まででなく、「今だからこそ」思い出すと改めてすごく感慨深い言葉(この意味は一部の人にしかわからないかも。)しかし僕と違ってものすごく頭がよく、尚且つしっかりしていた。だから、ひょっとしたら僕が当時思っていたよりも、かなり深い意味を込めてこの言葉をくれたのかもしれない。(残念ながら、そのときの僕には「流れに身を任せよ」程度の意味にしかとれなかった)

また、大学卒業前に何故か同時期にカナダにいて(行く直前に判明。ちなみに僕は旅行、彼女は語学学校)、バンクーバーで落ち合って一緒に遊んだりした記憶が。

生年月日が同じということは、、、、、なのだけど、大学卒業後はすっかり音信不通だから今どうしてるかはわからない。

元気にしてるといいな。

こうやって、言葉や思いが最近突然とめどなく溢れてくるようになった。

仲間

昨日の勉強会後の懇親会から、皆で明日はどっかいこう!!となり、 今日は先生、仲間と共に地元の観光と温泉へ。

 というわけで大人5人➕子供1人で平日のドライブ&プチ旅行となりました。

 

 考えてみたら、職場の同僚と日帰り旅行とかはあったけど、純粋に仕事の利害のない友人や仲間とのプチ旅って、ほとんど経験がない。

 大学以来、、、じゃないかな。

 

 ご縁でつながった先生、勉強仲間の方々だけど、今日集まったメンツは「試練の多い類友同士」ということで、さらに不思議なご縁を感じた。

 

 

 

 

 

  そのときに出会う事象や物事にはなんらかのメッセージがある。