天然の「魔女」

  友人と先日お茶していて出てきた話。

 

 私自身はレイキを扱えるとか、オーラの色がはっきりみえるとかまではいかないのだが、比較的周りにそういうのがわかる人はいる。

 

  で、友人の奥様もヒーラーなのだが、その奥様に、ある人の情報を開示したところ「この人天然で色んな技を使ってるね」とのこと。

 何かというと、要は相手から自分の方に(わからないように)エネルギーを引っ張ってきたり、気に入らない相手を遠ざけたり、逆に周りの人を自分の都合のいいように動かしたり、とか。(対象の女性はまだ若いので、おそらく無意識で、天然で、ということになった)。

 

 たまにいるのだが、若いのに不思議なほど人をひきつけたりとか、うまいこといっていたりとか。また、遠目で見てると人をうまいこと動かしてる(コミュニケーションだけでなく、無意識で、とか)人って、今世でそういうテクニックを学んでるか、おそらく前世かどこかで身につけてたんじゃないかと思える。

 

 

 

 

 

  

今年の目標(覚書)

 ○季節毎に伯父のところに遊びに行く

○縁のある天神様のところへ、梅の綺麗な季節に挨拶に参る

○身だしなみをしっかり

ノマドワーカーを目指す。断捨離

○利益抜きで人に奉仕

○毎月一回の神社清掃に参加

○1日に一回コンピュータ将棋を指す

○なまの芸術に触れる

激しい葛藤

 葛藤がある、と書いたら一見ネガティブに思われるかもしれない。

  これまで一途に取り組んできたつもりだったが、気付いたらどこかで自分のしている仕事への疑問、矛盾が膨れあがり

気付いたら今、天中殺効果か?かつてなく激しく自分の中で常に問答しあっている。

 

 確か一年前、二年前も葛藤していたが、さらにひどい。

  この二年、ある意味成長したかといえば成長したが、ひょっとしたら一年前、二年前に別の道を選んでいたら、もうすこし楽だったかもしれない。

 しかし苦難な道を選んだのも自分。

 

 先生にはこう言われた「宿命上、仕事と自分の間で矛盾や葛藤が大きければ大きいほど成長できる」

 

 これまではいた会社のどこでもなるべく疑問や矛盾を考えないようにして、やるべきことに集中しようとしてやってきた感じがある。

 

 だからこそ、今燃え上がっている炎は、燃え上がらせるほど自分のこれまで、これからを考えさせてくれる。

 

 結論は変わらないのだ。それでも考えることに意味がある。また、葛藤があることで見えてきたもの、感じられるようになったこともある。

 

  果たして自分は真なる意味で人生に向き合ってきたか。向き合おうとしてきたか。否。つきつけられるのは、本当に真剣でなかったから今ここに流れ着いたという事実。

 

それでも大丈夫。変化しだしている。

 

 だが、流れ着いてまたチャンスをいただいて、変化しだしている。

 

 

リーダーシップ、内面からの魅力

って、天性の才能とかもあるかもしれないが、後天的に磨ける気がする。

 

 たとえば最近思うのが、すごくリーダーシップが発揮できそうな設計図を持っていながらもなんらかの理由でできてない感じのひと、逆に芸術的才能がなさそうながらもその道で力を振るうひと、それぞれ。それはやはり、設計図だけでなく後天的努力、環境により人は道を切り開ける、という証なのかもしれないと、思う。

 

 あと、内面からの魅力。これも経験を経て出てくるものもある。

 

  ゆえに、才能がない、と諦めずに努力しよう。

 

眠気

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ひとときあやのさん、という、その人をみて感じるものをアートにして描いてくれる絵描きさんがおり、今日は個展を観に行きがてら、僕も描いてもらうことになった。

 

 下の写真はその個展の絵で、今まで描いた絵100枚くらい飾ってあったのだが、実際には500名以上は描いているのだという。

  上の絵は、まさに僕が描いてもらった絵。

  この絵は、その個展である他の絵とも全然違う気がする。

 

 星?や龍?も描かれている宇宙みたいな感じがするのだが、その中心の奥の丸まではものすごく奥行きがあるようにも感じる。どこまで深いんだろう。。。。

 

 

 ところで、最近やたら眠い。

 

 自分の場合、よく寝ているのにさらに眠い、というこの感覚にはいくつか心当たりがあり

①これまでたまってきた潜在的な疲れ、体の痛みを修復するための眠気

地震他天変地異が近い

地震の場合は、逆にやたら寝つきが悪くなることもある

③自分自身の現実面の大きな変化への前触れ

 そのどれかに当たることがままある気する。

ただ、予感的には今回は3の気もするのだが。

 楽しみでもあり、怖くもある。

 

 さらにそんでもって、描いてもらった絵の意味を解こうと見つめてたら、さらに眠くなってきた。たぶん、描いてる過程で癒されたのだと思う。この絵は不思議で、見ているだけでも癒されるし、見飽きない。感謝。

 

 とりあえず休む。

 

繊細な感覚と引き換えに失ったもの

 運命学を学ぶこと、求める者にはそれ自体に意味があり、また(もし運命学あら愛される者、という条件つきだが)勉強し始めた時点で新たなスイッチが入るということかもしれない。

 

 自分の宿命としては、もっている主星や主星は比較的「強い」はずだが、ある条件があるため「一見強いエネルギーを持ちながらも消耗も激しい」のだという。これを12月に習ったのだが、それを受け入れるまではがむしゃらに働けてたのがまだあったのだが、受け入れてからは、消耗がものすごく激しい、と自分でも思えてきた。

 

 これは思い込みともいえなくもないのだが、ただしそれを知らずにまだまだがむしゃらに働いていれば、ずっと先のどこかでバタっといっていただろう。

(事実、仕事のピークを終えて年末年始にはホッとしたのか体にどっと疲れがきた)。

 

 そのかわり、前に比べてエネルギーの流れを実感を伴って少しずつ読めるようになってきた、のかもしれない。

 つまりこれは流れに身をまかせる感覚に少し近づいてこれたかも、というところ。

今年のテーマ

今年の抽象的なテーマは
「境界線を見究めること」「収束していくこと」「人間社会で生きる感覚をつかむ」
今日唐突に思い出したのだけれども、大学時代のサークルの恩師が仰っていた。
「30までは色々手を広げていってよい。でも、30を越えたら今度はそれを絞っていくこと」。
その言葉通りかどうか、同世代の周りの友人は皆自分の道を見つけとっくにつきすすんでいる。
遅ればせながら、自分はようやくその輪郭の感覚を掴んでこれたかな〜、というところ。なにより、ひとより現実感覚が鈍かっただけなのだ。

ゆえに、ようやく掴んだ感覚を持って、これまでのものを一分野でも収束させていって、感覚を掴まなきゃいけない。
一旦、死ぬか死なないかほど全力で取り組んでみて、そして終わらせてみる。そうでないと見えない世界がある。だが、幸か不幸か、鈍感なせいかそれを味合わずに生きてきた。
というか、実は世界が無限に広がりすぎているがゆえに、何かサイクルを回すこと、制限や枠を設けること自体阿呆らしいと思っていただけの疑いもあるが。。

けど奥底では、今になりそんな覚悟と経験を欲しているらしい。