ある友人の不思議な予言
『あなたにも、やがて人のオーラが見えるようになるよ』
数年前の話なので、言った彼女自身が覚えているかどうかは定かではないが、確かに私はそう聞いた。予言、というよりは、そのときにその【能力】を分けてもらったように感じる。そのときは、ほんーのうっすらと感じる?くらいだった。
それから数年。
今日に至り気づいたのだけど。
あれ。人をみたとき、人と話すときに何が色が、、、、感じられる????(自分の後頭部に浮かぶような)。感情だろうか。その人の本質だろうか。
共感覚の一種なのか、思い込みなのか、どちらでもないガチのある能力なのかはわからない。なんであれ、霊能者になるつもりもないしなりたくもないしなれないとも思う。
いずれにしても彼女の言ったとおりなったのかもしれないけど。
興味深いのでしばらく探究してみよう。
素質の開花
一ヶ月前に軽くてみさせていただいたのが、『九流の術士』の名を冠する、ある特殊な命式をもつ若い子。色々すごいのだけど何がすごいとかはここに書かない。
しかも持っている人はレアらしく、習い始めてから会った人でも、過去に1人いたかいないかくらいかな、と思う。
だから拝見した瞬間軽く絶句した。。。。しかし、その際には本人に詳しくはお伝えしなかった。
なぜなら、そのときではないと思ったから。
私見で恐縮なのだけど、もし本人がもっと真剣に自身を知りたい、教えてほしいとなり、あるいはまた私ももっと成長し、しっかりお伝えできるようになったときがくれば、、、そうすることもあるかもしれない。
より満ち溢れた可能性を持ちうる命式の若い子。
陰ながら応援したいと思う。
東洋占星術と人気少年漫画の非常識な関係
本屋の漫画コーナーや漫画アプリで最近やたら好く見かける『異世界転生系、チート系』。流行しているということは、たとえ裏に仕掛け人がいたとしても、かならず広まるだけの需要や理由があるわけで。
世相を反映しているのかなあ、とも思う一方、これは算命学でも読み解けるんじゃないか、ともふと思いました(※今のところ誰にも話してない)
どこでどう、とはいいませぬが。
ざっくりいうならば、ひとつの見方として。
たとえば1973〜1983年頃生まれの人は、あまり目上に頼らず、(あるいは目上を乗り越えて)、アップダウンを繰り返しながらもゼロから自分の力で道を開いていこう、未来を切り開いていこう、という要素があります。
一方で、それでいうなら83〜93年頃生まれの人は非現実的な世界、ロマン、ファンタジー的な要素、望んだら高みへいける、、、他力も含めた非現実的が強いのでは?と。
となると、それぞれの年代の好みも変わってくるんじゃないかと。
たとえば前者でいえば、初期のドラゴンボール、ファンタジー的要素も入るけど、主人公たち『自身の』現実的葛藤、成長も印象的なダイの大冒険などのヒット漫画、とかとか。あと、幽遊白書とか。
後者でいうなら、たしかに主人公の葛藤や成長も描かれるけどなんか地に足がついてなくて、本来師匠や親から受け継ぐ流れから飛び出した、前者よりは世界がより幻想的な『鬼滅の刃』とか、少し前なら、あの世での戦いを描いた『ブリーチ』とか。そして、冒頭に挙げた異世界系、チート系とか。
また、その中間に位置し、両方の要素を併せ持つのが『ワンピース』『ナルト』『ハンターハンター』とかとか。
ワンピースについては、ルフィが現時点でドラゴンやレイリーを超えているかはわかりませんが、まだ現実に近かった初期に比べると、最近の舞台はお菓子の国とか鬼ヶ島とか、かなり非現実的ですね。。
勿論、個人的な見解なので異論が生じるのは重々承知ですが。
このような観点で検証するのも悪くないのかも。
また、上の仮説でいうなら次にくるのは
『お仕事系』『社会派、経済系』『社会との関わりの中で過去から受け継いだものを発展させていく』のような気もしますが、どうでしょうか。
重心の安定
先日身体のワークを生業とする友人と色々技の実験をしていて指摘されたのが、
どうやら私の身体の重心は、ここ数年でだいぶ安定してきたらしいということ。
どういうことかというと、私が相手の手を掴んだときに、それを合気道の技で外すか外せないか、という実験を5年前、と先日したを比較したとき。
5年前はまだ私の重心が不安定で簡単に外されたのが、今回は最初は全然外せなかった(友人談)とのこと。
そうなってきた理由はひとつは、彼に教わったワーク(体操)をこなしてきたのもあり、
あとは、内面的にも色々変化してきたのかもしれません。
ともあれ、過去と現在の違いがこういうところでわかるのは興味深いことです。
テレワークについて
今の仕事は、車で数十分かけ、海の見える道路をドライブしながら朝早く通い、社内から出ることは基本できない。そして午後5時には大抵退社、そんな規則正しく、学校みたいな生活。
実は社会人になってから今までの大半はそんな規則正しさとは無縁。(シフト制とかだった)
入社できるまでできるかなー、とすこし心配だったけど、意外にこれがしっくりくる。
過去に在籍したところと比べてもあれだけど、そもそも今は残業しない(大抵する必要もないし、マクロまだ極めてない自分のスペックですら何とかなる)という意味ではストレスがないし、夕方5時には退社なので、少し遊んでからも帰れる、というところは心地いいことに気付いた。また、社内から出られない、というのも大したことはなかった。
規則正しいのがダメ、とかいうのは杞憂だったようだ。
ちなみに、業界柄ここはコロナのときも関係なく働けるので、恵まれていた。
そんな中で、コロナのこともあって感じたのは、
●今の自分の職務においては、うまく工夫すればテレワークでできるんじゃね?
●いや、他の部署の人もテレワークでできるんじゃね?
●となると、わざわざ遠い職場まで通って仕事するとは???
ここに当たり気付いたのは
●リアルに会社に来て仕事をするならば、テレワークでできること以外の、、、つまり、会社に来なきゃ出せないアウトプットをすべきではないか
(けっして、テレワークしたい、という願望だけからきたのではない)というところ。
正直、極論会議もオンラインでできることはわかったし、ラインなどでも連絡しあえる(問題は、ほぼ全員がそれを使いこなせていないことだが)。
ならばむしろ、リアルで集まってでしかできないことをすることが、職場の存在価値ではないかと。
干支で表すならば、今年はいわゆる変転変化の年、という。
倒産や閉鎖は免れ、ただしこれまでのシステムを見直し、プラスに向かう会社は幸いなのかもしれない。
何故ならば今回のことにより、今までの問題点と向き合い、改善せざるを得なくなったからだ。
人も会社と、大きな問題と向き合うことなしには変化もしないし、急激に成長もしない。
批判する気はさらさらないが、コロナ禍の直撃を免れたのは果たしてよかったのか、悪かったのか。