強制的に休まされるタイミング

 ここ数年、だいたい5月ごろに体調を崩しやすい。

  特にこの2年は天中殺にあたっているのもあるが、そういえば数年前に大きな手術をしたのも、5月だった。

  (その理由について、教科書を読んで仮説がたったので、今度兄弟子の先生に聞いてみるつもり)

 だが、とにもかくにも去年2月から今までは、算命学、陰陽五行の勉強にはまる一方で、現実では精神的に苦しい思いをすることが多い。おそらくは、「自分と向き合って乗り越えなさい」というメッセージなのだろうけども。


 たとえれば、霧がはった高い山の空気の薄い場所を歩いているのに近い。進みづらい、前が見えない。それでも前に向かって進む。


 普通のひとであればそれだけなのだろうが、自分はさらにでっかいリュックサックを背中に二個背負っているようなものに近いかもしれない。


 なにかを、試されている。



 今までは、流されて生きてきていて、それを自覚せず、ただ叶わぬ夢をぼやっと描いて、、だが、与えられたことにはがむしゃらにとりくもう、そんな感じだった。


 がむしゃらに取り組めば何とかなる、、、と思っていたけど、思い起こせばそれで(結果オーライ、副作用で面白いことは起こったけれど)期待通りの結果は得られるたことはあまりなかった気がする。かえって何かに身を任せた境地で奇跡は起こった。


 がむしゃらに取り組む、性急なのは、自分の中にそのような星があり、またいわゆる大運でも回ってきているから。


 しかし、そのせいか、天中殺に入り昨年5月にペースダウン、12月に左足の人差し指を骨折、そして今は腸に痛みを感じ、明日会社を休み、大きな病院で再検査、といったところ。


 算命学を去年の2月から学んでいることと、上の出来事はおそらくリンクしており、たぶん、今の方向性、やり方が間違っているから大きく変えなさい、一旦立ち止まって見つめなおしなさい、ということなのかもしれない。


 そして、明日の腸の検査に至るまではちょっと色々あったのだけど、それも含め、去年のペースダウン、足の指の骨折を経てもまだ振り返りきれてないから、こんな大きな事態になったのかもなあ、、、と今更振り返る。


 ま、なるようになるさ。ひょっとしたら色々手放さなくてはならなくなるかもしれない。それも何かの宿命なら諦めもつこう。とりあえず、無事に終わりますように。