業務改善、と違和感の正体
4月からの仕事における業務習得が一通り落ち着いたので。
時間があるときには、現状における自分の業務のマニュアルを作成している。
これにはいくつか理由があり、箇条書きにするならばたとえば以下のような感じ。
●業務を可視化、言語化し俯瞰することで、改善、効率化に繋げていく為。
●業務の一般化。上とも関係するが、なるべく誰でもできる、あるいは素早く習得できるようにする為。
そもそも、私の引き継いだ業務はよくも悪くも前任者の方(けっこう前に退職されている)が作り上げたもの。
その方の努力と工夫には敬意を払いつつ(これは本当に思う)、ただしなるべくわかりやすくしていかないと、と思うし、入社面談時に社長もそのことについて触れていた。
こちらはこちらで長期的にやってこうと思っている。
また、事務仕事で実感するのは、
たとえばパソコンの使い方を変える(ショートカットキーの多用やフォルダの使い方)とか、表計算ソフトの便利な使い方を覚える(関数を使うとか)、という工夫改善だけでも結構ミスが減り、効率がよくなることがあるということだ。
たとえば、何人かの同年代の同僚で使う共有の表計算ソフトのファイルで関数を仕込んで便利にしたことで、ちょっと喜ばれたりもしている。
(一方で、職場の管理職の方がパソコンの操作を知らずにものすごく労力を使う作業をしてるのをみて唖然としたこともあったが)
そんなこんなを経験すると、結局はいかに仕事のポイントを抑えるかが本質なんだな、と感じるようになってくる。
事務作業であればミスなく効率よく処理するために→ミスを防ぐパソコンの使い方を習得する、時間の使い方を変える、とか。
そして、おそらくここからが核心なのだけど、、、、、弊社の職場でちゃんと5w1h思考、、でき、本質を抑えている上役は少ないのだろうと。
たとえば目標設定の共有時における表現が漠然としており、さらに口頭ベースでも明確にきいたことがないのだ。だから、MBO的な目標を自分で立てるときにも違和感を覚えた。
(もっとも、これは上司が論理的思考に弱いのは前職でもあったことなので、慣れてはいるが)
そっから振り返ってみれば職場は何故、何故と思うことだらけ。ある意味全員、思考ではなく空気や感覚で作業している感も否めない。
果たしてこれでよいのだろうか?
まあ、私は今あることに尽くす、算命学の実践、検証の場としてもここを選んだところもある。
どうしていこうか。