海のイメージ

 

 

 

 大海のど真ん中にただ独り、ポツンと留まっている時は、周りの海、空始め世界がただただ果てしなく広いことしかわからない。そして孤独感。寂しさ。何をしていいいかも定まらない。おぼつかない、はかない自分の体しか頼るものはなく、他と区別する自分の形すら曖昧でもある。一度嵐が来れば呑み込まれてジエンド。

 けど、、、、、好奇心とわずかな勇気を元手にしてその位置からまず動いてみる。乗っている船のエンジンを起動させ、その感性、センスで気のむくとき、気のむくまま踏み出してみる。
 その一歩はとても小さくてもいい。まずは、一ミリくらいでも。。少しずつ。。。

 それができたら今度はコンパスの針の向くままに、あるいは空の星座を道標として、思い切ってダイナミックに航海し始めてみる。

 ひとたび慣れたなら、どこまでも往くことで航海技術、波の乗り方、風との付き合い方、海の広さ、遠くの陸地の存在、冒険する楽しさを認識し、新しい体験も蓄積される。異質なものとも出会い、自分の形がはっきりしてくるだろう。そこに楽しさや学びが生まれる。今までおぼろげになっていた自分の形がはっきりしてくるし、自分の可能性を見出すことができるんだなあ。
 はては全てを呑み込み、成長していく。

 だから、仮に今何者でなかったとしても、それは実は最強のカードでもある。何故ならばこれまでのものを捨て、これから出会うもの全てを呑み込んでいくことで何者にでもなれる、その可能性に満ち溢れているのだから。

一言のちから

『あなたは今、皆から期待されているんだから』

 その言葉が心からのものかどうかはわからない。

 

 ただひとついえるのは、

 昨日何気なくかけていただいたその言葉が、後から思うと今なお、無能と無力感に満たされている自分としてはその日一番に大きく心に残り、本当に、本当に嬉しかった。

 人は、周りからのたった一言で大きくいい方向に変われたり、勇気づけられたり、逆に傷ついて落ち込んだりもする。

 今までの自分は事実をありのままに伝えることが大事だとか、表面的にだけでも肯定的な言葉を投げかければいい、などと思っていた節があった。
 

 ただ、

 
 実際は人により『1番今言われたいこと』『言われたら癒される言葉』は全然違ったりすることが多いことに最近気づいた。

 これまで気づかないうちに周りに暴言を吐いてなかっただろうか。
 お礼を言ってるつもりで内心全然気持ちがこもっていなかったことはなかっただろうか。 

 話をきいてるふりをして実は無関心な態度があらわれていたことがなかっただろうか。

 相手の社会的地位、外見などみたいところしかみず、真の意味で内面、本質をみようとしていただろうか?

 要約するならコミュニケーションにおいて目の前の人の本質に寄り添うことなく、表面だけのやりとりだけしかできていなかったんじゃないのか?

 それじゃいけないことを実は今年の夏、大きく思い知らされていたし、逆に誕生日の日に、尊敬する方から頑張ろう、と思える印象的な一言もメールでいただいていたんだ。
 

 また今日。

 以前仕事を共にした方から、珍しく職場の近況についてちらっとラインで伺った。

 短い内容、文字遣い、行間などから職場の今の状況、大体の人間関係、売上、本社との今の関係など瞬時に頭に浮かんで出てきた。

 が、

返信に30分〜1時間悩んだ挙句今の僕では、『色々あるけど私は元気です。そちらは大変だと思いますが、たまには休んでくださいね』というニュアンスのことだけしかお伝えできず、(つまりは、何と励ましていいかわからない)表現力が全くない自分の力不足を感じた。

 
 何気ない一言が、人を大きく変えうる。
 ときに人生に及ぼす変化は、、実はとてもとても、計り知れない。

 周りの人の気持ちに瞬時に寄り添い、察し、心から愛情のこもった一言で励まし、あるいは癒すことができる存在になりたいな。

 たった一言褒められただけですごくがんばるようになった人もいるはず。
 ひょっとしたらそのあたりに自分のなすべきことが隠れてるんじゃないか、と思う。

 

社会的『役割』を得、自覚し初めて動き出す

 どこかで聞いた話ですが、人はその資質があるがゆえにそれに応じた役割を得るとは限らず、役割を得、自覚することで頑張りだし、後天的に必要な資質を身につけていくものだ、と。

 

 言い換えると、例えば一見才能のなさそうな者でも一度リーダーの役割を得て、精進していくならその資質を身につけることができるということでしょう。

 そのカラクリは、役割を得て社会的に果たさなければならないとなると当然その人はその役割での新しい体験を得、また学ばされることになるから。

 

 心理学的にいえば『ピグマリオン効果』ってもので、自覚することで内面もそう変わっていくものです。

 

 言い換えたら、役割や立場を得ることにより人は新たな成長のステージに立つといえるでしょう。 

 

 ただしここで肝なのは、

 あくまで『役割を得、自覚すること』。

 

 たとえ社員であろうが月給泥棒に身を窶しているならば、やるべきこと、役割を心得て、お客様に尽くし、一所懸命に働くアルバイトには『給料では勝っていても影響力では劣り』現実面では大きな差となってくるでしょう。  

 

 今この生きる時間。

 私の今の役割は、『春の目覚めの時期まで身を置く場所で一所懸命にお尽くし、エゴをださず、職場がよりよくやるようにサポートしていくこと。』

 立場役割でいうなら助っ人という感じですが、1日8時間以上働きながらも、与えられた役割をしっかり果たそうと考えています。

 

 もうすぐ天中殺明け。この戌亥天中殺の今年8月、私は『立場』『役割』を失いました。(というか、耐えきれなくなり放棄したのに近いですが、仮に保持していたとて恐らく後に失っていたと思います。)

 そこも重々反省し、次に繋げていきたいとも。

 

 

昔のビジョンが叶う

 たまに起こる現象が、2.3年前にイメージしていたこと、ふと『こうなりたい』と思っていたことが、かなり意外な形で叶ってしまうこと。

 この、ふと思うこと、と意外な形で、というのがポイントで。

 意識的にあれが欲しい、これが欲しい、と考えて無理に努力しているときって、大抵自分の視点がずれていたり、思い込み、固定観念のループの範疇にいてなにも先に進んでいないのかもしれません。

 

 一方で、時として向こうから来る流れに身を任せ、ただ来る流れに対して寛容になり、自分とは違うものを受けいれ、ただし全力で向き合うことで

 

 これまで自分の道が開けてきたような気がします。

 たとえば昨日、前職ではなし得なかった『大規模なケータリングの仕事』のお手伝いをさせていただいたり。これ、2年前くらいに似たようなお話をいただき、結局不成立になったけどイメージだけしていた話なのです。ただし、このご縁もほんとに予期してませんでした。※詳細は伏せます。

 

 年天中殺期間にありますが。

 前の仕事をスパーンと辞め、今行動の拠点にしている場所に通いつめることで見えてきたもの。

 まだまだ整理の余地あり、です。

 

『剋されなければ』才能は発揮されない。

 たとえば『水火既済』のように、自分の外面でも内面においても、葛藤やぶつかり合い、自分自身と向き合うことなくして『望む対価』は得られないように思います。

 

 何も苦労や挑戦なくして成功した人を未だに見たことがありませんし、また大きく成功している人は例外なく、相応の代償を払っていたりします。

 言い換えると、今ある苦悩や困難に正しく向き合い、対処することができるのであれば、それら苦難や困難は光明への道標でもあるのではないでしょうか。

 たとえ『人生に苦労していない』といっている一でさえも、物事を自分のいいようにだけ解釈していて課題が見えていないとか。逃げているだけとか。あるいは課題を発見すること自体がクリアすべき課題だとか。

 

 

 

 そこにあるのは陰陽説の『陰と陽』、五行説でいう『相生相克』。

 物事には必ず両面、たとえば長所があれば短所があります。

 また五行でいうならば、現実における成果を短期的に得ようとするならば、信念をもち世のため人のために尽くすことから発生し、現実における役割は想いを分かち合うことから生まれます。

 おもったような人脈、お金、愛情を得られていないのは、ひょっとしたら自分のことしか考えず行動している為かもしれませんし

 現実において地位や役割、立場を得られないのは、自分の心からの想いを周りに『分かち合ってない』からかもしれません。

 注)ただ発信する、伝えるのと『分かち合う』のは違います。

 

 

 そのことを、よくも悪くとつくづくと感じさせられるこの数ヶ月。天中殺が明けるまでに自分の見直しをさらに。

 

 

 

  

噂のキャッシュレス決済商業施設へ

 今朝、とある理由で餡パンを買いに行ったのだが、そのお店がテナントとして入っている商業施設は全国にもあまりない『現金お断り、キャッシュレス決済オンリー施設』。

 

 せっかくなので餡パン購入のついでに他のテナントも見てみることにした。。。。

 

 元々この飲食商業施設の母体は地方銀行で、『地元のおいしい店、食べ物を皆に知ってもらおう』ということと、あとその地方銀行が発行する独自の電子マネーを広げる目的があった模様。

 

 その電子マネーは私も名前は知っているが、今なお使ってはいない(メリットを感じないので)。

 

 中をみ歩いた結論からいうと、土日のお客さんの入りはみてないからわからない、、が、平日は閑古鳥が鳴くのもわかる、、、という感じ。

 まず立地はメイン通りから一つ外れていて、ビルの外見(普通すぎる)からもそこに飲食商業施設があるのが若干わかりづらい。当然利用客は近隣オフィスのサラリーマンや地元民に限られる(何も対策をしなければ、の話)。

 次にお店、商品そのものの訴求力。

 合計約10店舗、ブランド、集客として弱いなあという印象。

 たとえ地元では名店舗だったとしても、他県からのお客様にはヒットするかわからねえ。。インスタ映えも含めて。と、具体的にどの層のお客を狙っているかすらよく見えない。

 

 一体どういう戦略でここに建てたのだろう??

 

 なんというか総合的にみると、

 

 ビル建てるときに1、2階のスペースが余っちゃったから、その銀行のお客様の店舗を言い訳つけて無理やり入れた、という感じ???ちなみに、このビルの上の方は銀行のオフィスになっているようである。もしくは、社員食堂や福利厚生目的で作ったのか???

 

 そして、私もキャッシュレス決済に関わる仕事をやっていたことがあるからわかるのだが、キャッシュレス決済を採用したお店にとってのデメリットおよび悩みは

 

 『売上金が店側に振り込まれるのがすぐじゃない』ということ。

 (これは、以前入ったランチ屋さんのカウンター奥でたまたま店の人がその話をしていたのをきいていたことからもわかる)

 

 となると、店テナント側にとって資金繰りに困ることは当たり前に予想ができる。

 

 ※故に銀行から、出店にあたり家賃を安くするとか、融資を増やすとかしているんじゃないかとも予想。が、真相はわかりません。

 

 

 

勤怠管理システム

 お仕事であれ?ったら思ったのだけど。

 勤怠の入力が未だに手書きになってる。何これ如何。

 なんかの用件で某大手スーパーに入ったときは、入り口にシフトカードがあったからあそこはタイムカード制か。

 

 コンビニのときはレジでバーコードスキャンして勤怠を打っていた。

 前の会社では、、、、、実質あってないようなもんだった。

 

 あってないようなもん。というものが曲者で、しごとの量が膨大だと、定時過ぎて働いていてもまあしょうがないや、とサービス残業してしまう。

 

 前の会社で、そこを少し正直に時間申告して月75時間(実際は90くらいいってたはず)いって怒られたのが自分。

 

 ※辞めるときに本社のテコ入れが入ったはずだから、今はそんなに仕事しなくてもいいようになってる、、はずだけど。

 

 何がいいたいか。

 

 時間管理が肝の仕事では。管理する側もされる側も時間の意識を持たないといけないし、そこになぜ、という明確な根拠と方法論を持たせないといけないし、また効率よい管理の仕方がないと管理者もつかれる。

 

 よって、勤怠管理システムは大切(^◇^;)